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日米の心理学者が語る「内なる声」の驚異の力 アスリートも実践する「自分と距離を置く」方法

東洋経済オンライン / 2024年3月28日 10時0分

私にとって効果があるのは、エンジェルの自分が「ミヤコ、えらい」と自分に言い聞かせることですね。

クロス:3つの声があるというのは、興味深いですね。たいてい、2つの声があり、ネガティブな声は、ポジティブな声よりはるかに大きくて横暴になっていきます。

本書の存在価値は、「ネガティブな声が大きくなりすぎたら、どうするか」というロードマップを示すことです。ネガティブな声の音量を下げる方法を知っておくことが大切なのです。

自分の筋肉に話しかける

田中:アスリート時代は、よく自分の筋肉にも話しかけていました。

シンクロナイズドスイミング(現在の競技名はアーティスティックスイミング)は、息を長く止めて水中で足技をし続ける競技で本当に疲れるのですが、練習中などは水中で逆さまになりながら「ガンバレ、ガンバレ」と筋肉細胞に声をかけました。

つま先にも話しかけていましたよ。「おーい、つま先、元気? よくやってるね。ガンバレ」と。

クロス:距離を置くという方法ですね。状況に没頭しすぎて悪影響があるときに、精神的なゆとりを得て、離れたところから自分を振り返る。有益なツールですね。

例えば、人は病気になるとこう言います。「私は何も悪くない。悪いのは病魔だ。ここから出て行け。お前に私は倒せない」。自分で自分を有害な要素から切り離すのです。

クロス:田中さんは、選手を引退後、スポーツ心理学の道に入って博士号をとられましたね。

田中:それが長年の夢でした。博士号をとればようやく自分が自分のことを認められる、人生が変わるかもしれないと思ったのです。私は「元五輪選手」と呼ばれる自分のことがあまり好きではありませんでした。もう35年も前のことですから。

クロス:それだけがあなたではありませんからね。

田中:そうです。でも、引退後もずっと「元五輪選手」と呼ばれます。その自分ではない自分を作ることに必死だったのが引退後の数十年です。私は、21歳で選手を引退しました。目標であり、夢だったオリンピックメダルを獲得したからです。

1988年10月1日の日記に「夢が叶った。これからの“余生”はどんな人生だろう?」と書いています。21歳であったにもかかわらず「余生」と書いたわけです。

引退直後は人生が終わったような感覚でした。スポーツ選手というアイデンティティではない私は想像できなかったのです。そして自分を見失いました。引退しても「シンクロの田中です」という自己紹介をしたくなるたびに「もうそうじゃない。だったら私は誰?」と思っていました。

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