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「バナナの食べ方ひとつ」で"疲れた脳"は回復する 動作を「ゆっくり」にすると、人間関係も変わる

東洋経済オンライン / 2024年5月16日 10時0分

「今、この瞬間の体験に意図的に意識を向け、評価をせずに、とらわれのない状態で、ただ観ること」

ところで、マインドフルネスの瞑想には、「1つの感覚に注意を集中させる瞑想」の他に、「注意の範囲を自在に広げて、あるがままに観察する瞑想」 もあります。

脳科学的にいえば、前者は、これまで解説してきた「1点に意識を集中させる」瞑想です。

頭のモヤモヤを「止める」瞑想であり、集中瞑想(フォーカスト・アテンション)とも呼ばれます。

後者は、「注意を自分の周囲へとひろげていく」瞑想です。

これは「観察する」瞑想(オープン・モニタリング)ともいわれます。
もとは仏教瞑想の世界でこの2つが区別されてきた背景を有しています。

ブッダが実践した瞑想修行を、そのままの形で伝承してきたとされる上座部仏教(タイやミャンマー、ラオス、スリランカなど南方系の伝統仏教)の世界では、前者をサマタ瞑想、後者をヴィパッサナー瞑想と呼んでいます。

2つは別物といいながら、しかし連続性があります。

意識を集中させる瞑想を生活のなかで習慣的に実践してゆけば、脳はフォーカスト・アテンションからオープン・モニタリングへと切り替わり、自然と意識が外の世界に向かうようになるからです。

呼吸瞑想をしていてもそうです。

「今、この瞬間」の呼吸に意識を向けると、心が静かになります。

そのまま続けていると、「足の裏がかゆいな」とか「外を車が走っているな」とか「あのメール、早く返信しないとな」などと、さまざまな雑念が湧いてくるでしょう。

これはサマタ瞑想中に雑念が生じた状態です。

はじめのうちは、基本的にそうした雑念に対しては、「呼吸に注意を戻す」ことで対処するのがサマタ瞑想です。

ところが、こうした瞑想を日常的に取り入れてゆくなかで、あるときふと 「今、呼吸を感じながらも、外の世界のいろいろな物事を同時に認識できているな」 という状態が惹起されることがあるのです。

コントロールすることを手放す

サマタ瞑想から、ヴィパッサナー瞑想に切り替わった瞬間と考えられます。

ただしこうした変化は、ただサマタ瞑想だけを延々と続けるスタイルではなかなか得られないと考えます。

例えば、人里離れた山中でひたすら瞑想を続ける仙人のように、外的環境との接点を断って自らの瞑想に没入するだけでは、どこまでもサマタ瞑想のままなのではないでしょうか。

しかし、禅の修行はそうではありません。

確かに坐禅をしているときにはサマタ瞑想の状態が想定されますが、禅の暮らしにおいてはすべての生活行為を修行として扱います。

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