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「バナナの食べ方ひとつ」で"疲れた脳"は回復する 動作を「ゆっくり」にすると、人間関係も変わる

東洋経済オンライン / 2024年5月16日 10時0分

仲間たちと励まし合いながら日々暮らし、作務に打ち込んだり、市中に出て托鉢をしたりと、社会との関わりが少なからず生まれる。

そうした暮らしの中で禅の実践を続けることによって、次第にヴィパッサナー瞑想の状態に切り替わることを助けているのではないかと、私は考察しています。

そしてヴィパッサナー瞑想を続けた先に待っているのは、「自慈心」に満ちた心のありかたです。

雑念は「消さないといけない」訳ではない

雑念というと「消さないといけないもの」というイメージがありますが、本来の瞑想は、雑念をそのまま受け入れ、「雑念が浮かんでいるな」と感じるだけでよしとします。

呼吸も、普段通りの呼吸を「観察」するだけにし、コントロールしません。

まさしく 「評価や価値判断をせずに、ただ観る」 のです。

言い換えれば、あらゆる執着、こだわりから解放されて、ありのままの自分を、ただ受け入れること。

これが「ありのままの自分を受け入れる」「ありのままの自分を肯定し、慈しむ」心のありようを養います。

自慈心こそ、あらゆる人間関係の基礎となるものだということだけ、覚えてくださったら嬉しく思います。

自慈心がないままに他人に関わると、どうしても他人と自分を比較してしまい、卑屈になったり、他人を攻撃したり、他人の評価を気にしたりします。

でも自慈心があれば、自分で自分を肯定でき、他人を思いやる心の余裕も生まれます。

自慈心は、人を優しくするのです。

そんなマインドフルな状態になり、心の余裕を生むための簡単なワークを紹介します。

ナイフとフォークでバナナを食べる

普段何気なくしている所作を、心を込めて丁寧に行うことで、マインドフルな状態に近づいていきます。

では、「心を込めて丁寧に」とは、具体的にどういうことでしょう。

さまざまな考え方がありますが、1番簡単なのは「ゆっくり時間をかける」ということだと思います。

例えば、亀になったつもりで、1つずつの動きを極端に遅くしてみるのです。

指先にまで意識が行き渡り、「今、この瞬間」に身体がどのように動いているのか、感じることができます。

あるいは、いつもはお箸で食べているものを、あえてナイフとフォークをつかう、というのはいかがでしょう。

例えば、バナナといったら普段はまるかじりです。

心を込める間もなく、一瞬で食べ終わってしまうことでしょう。

しかし、ナイフとフォークを渡されたら、そうはいきません。

「どうやって皮を剥いたらいい?」

「フォークで口まで持っていきやすいサイズは?」

などと考えながら食べていると、誰もが丁寧に、スローにならざるをえない、というわけです。

実は、かつて私が通った小学校では、バナナはかぶりつかずに、ナイフとフォークで食べる決まりがありました。

今思えば、マインドフルな食事法を知らないうちに実践していたのかもしれません。

川野 泰周:臨済宗建長寺派林香寺住職/精神科・心療内科医

恩田 勲:JoyBizコンサルティング代表取締役社長/一般社団法人日本モメンタム協会理事

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