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「ステージ4の膵臓がん」父が沖縄で子に見せた姿 亡くなる13日前に敢行した7日間の大移動

東洋経済オンライン / 2024年5月31日 14時5分

帰る日の当日。フェリーの関係で、ホテルを出るのは朝の6時だった。その時間、ホテルのレストランはまだオープンしていない。

「後半の2日間滞在したのは、それまで家族で何度も泊まったことのあるホテルです。父はここの朝食が大好きでした。最後にそれが食べられないことが心残りだったようです」(愛里さん)

朝食を食べる時間がないことを出発の前日、ホテル側に伝えると、家族分の朝食をお弁当にして用意してくれていた。

「父の大好きなグアバジュースも入れておいてくれました」(愛里さん)

出発に合わせて、ひまわり訪問看護ステーションの豊里看護師も見送りに来た。

「私にとっても、すごくいい経験でした。どうしても見送りがしたかったし、渡したいものもあった」と豊里看護師は語る。

ホテルのスタッフに渡されたお弁当を携え、稲本家一行は介護タクシーに乗り込んだ。

「豊里さんとは、そこで一旦お別れしたんですよ。ところが、フェリー乗り場に到着したら、豊里さんが車で追いかけてきて、乗船ギリギリに、はいこれ、お土産って言って沖縄名物のジューシーおにぎりを届けてくれたんです」(愛里さん)

ジューシーとは沖縄の郷土料理だ。甘辛く味付けした混ぜご飯である。

「恩納村の宜野座商店っていうお店のジューシーがね、とびきり美味しいんですよ。どうしてもそれを届けたくて、開店時間を待って買ってからフェリー乗り場に行ったんです」(豊里看護師)

帰りのフェリーの中で、ホテルが用意してくれたお弁当と、豊里看護師が届けてくれたジューシーおにぎりを広げて、皆で食べた。秀俊さんも、少しずつだけど、食べることができた。

家族の献身が生んだ奇跡

自宅に帰り着いたのは、翌日の夜遅くだった。その13日後、稲本秀俊さんは53年の生涯に幕を閉じた。細山看護師は言う。

「診療情報には、手術や抗がん剤などいつ手術をし、いつから抗がん剤の治療を開始し、など多くの治療の経過がありました。秀俊さんとご家族は何度願い、何度苦しんで悲しんできたのだろうと。

秀俊さんに寄り添い、ご家族も支えたい気持ちがとても強くありました。秀俊さんが食べたいと言ったアメを沖縄中のスーパーに電話をかけて探す娘さんたち。長旅で疲れているのに、眠らず夫の秀俊さんの苦痛のある箇所をずっとさする奥様。体が辛い中でも、家族を気にかける秀俊さん。本当に素敵なご家族なんです。

ご自宅に無事戻ってきたときの達成感のような、安堵のような、秀俊さんの笑顔は今でも忘れられません。旅は戻ってくるものなのだと、秀俊さんに教えていただきました」

【2024年6月3日14時45分 追記】初出時、記述に不正確な部分がありましたので、一部を修正しました。

家族の献身的な姿が、多くの人の心を動かし、たくさんの奇跡を生んだ。父親との最後の旅行について語りながら、愛里さんは何度も涙を浮かべた。でもそれは、悲しい涙ではないように見えた。

豊里看護師と細山看護師、そして愛里さんは今でも連絡を取り合う仲だ。そんなかけがえのない関係も、秀俊さんは残した。やはり、この沖縄旅行は、家族に対する父親の最後のプレゼントだったのである。

末並 俊司:ライター

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