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1年で1割退学「崩壊する都内底辺校」の教育現場 タバコ・喧嘩・妊娠で退学が日常茶飯事だった

東洋経済オンライン / 2024年6月6日 7時50分

中学2年生になるころには、「もう勉強では周囲には追いつけないと、諦める気持ちがあった」そうですが、学力を頑張って伸ばそうとは思わないまま、時間だけが過ぎ、受験シーズンに突入しました。

「中3になって、先生に『このままだと、行ける高校はないよ』と言われたのは覚えています。親からは『私立高校は(学費が)高くて、通わせられない』とも言われていました。一般受験のために勉強をしても間に合わないため、確実にいける通学圏内の普通科高校を探し、そこに推薦で進学しました」

入る前から「あの高校だけはやめておけ」

彼が進学したこの高校こそ、当時偏差値が40の、いわゆる「教育困難校」だったのです。

「入学した高校は、ヤンキー校として有名でした。入る前から『あの高校はやめておけ』と周囲に言われていました。私も実際に入学するまでは不安だったのですが、『とりあえず高校生になりたい』とは思っていましたし、勉強ができなくても、好きなことにのめり込んでいる生徒がいるイメージだったので、自分と同じような価値観の人とも出会えるだろうと思っていました」

しかし、特段進路について意識しないまま高校に入ってしまった長瀬さんは、入学してからその環境に驚いたそうです。

「タバコを吸っている人や、妊娠して退学する人などがいて……。びっくりしました。同級生が他校の生徒や、高校に通っておらずワルさをしている人たちと喧嘩をするという話を聞いたときは、本当に怖かったですね。よく覚えているのは、金髪にピアスをしているチャラついた集団が、バイクで出待ちをしていたことです。とんでもないところに来てしまったと思いました」

270人いた同級生、1年で20人が退学

長瀬さんの学校は、「どのクラスにも必ず退学者がいる」ほど荒れていたようで、入学して1年で270人いた同級生のうち、20人が退学したそうです。

「退学する人たちは、個々の事情があるので、具体的な理由まではわかりません。ただ、気づいたら不登校になっていて、そのまま退学していたパターンが多かったです。おそらく、学校の勉強についていけなかった子たちが多かったのではないかと思います」

「学校に行くのが怖かった」と語る彼は、入学してすぐ、自身の選択と、かつての怠惰な日々への後悔の念に苛まれることになりました。

「ここに居続けるとまずい」と思った彼は、できる範囲内での勉強を始めようと決意します。

「高校生活では、合わないと思う子が多く、価値観が合う中学のときの友達とつるむことが多くなりました。その子たちは育ちのいい子たちで、みんな偏差値60以上の高校に通っていました。

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