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今はなき「小田急モノレール」レア技術の塊だった 「向ヶ丘遊園」への足、日本に2例だけのシステム

東洋経済オンライン / 2024年6月7日 6時30分

小田急電鉄の向ヶ丘遊園モノレール(デハ500形)。航空機と同様のモノコック構造で設計され、ボディの素材に軽量のアルミ合金を使っている(写真提供:小田急電鉄)

2024年はモノレールが歴史上、初めて登場してから200年目に当たるという。記録に残る中で世界初とされるのは、1824年、イギリス人のH・パーマーが、木材レールと馬力を用いた貨物運搬用のモノレールをロンドンの造船所に敷設したものである。

【写真12枚を見る】小田急線の向ヶ丘遊園駅付近を走行するありし日のモノレール車両。現在残るモノレールの痕跡も

モノレールの技術が大きく発展したのは、自動車の増加による渋滞緩和という文脈においてであり、海外で研究された技術が1960年代前半、日本に次々と輸入された。

その中の1つに、アメリカの航空機製造大手、ロッキード社が考案し、川崎航空機(現・川崎重工業)などが出資する日本ロッキード・モノレール社が実用化した「ロッキード式モノレール」があった。ロッキード式は、小田急電鉄の向ヶ丘遊園へのアクセス路線および姫路市交通局の2路線に採用されたが、いずれもすでに廃止されている。

今回は、向ヶ丘遊園モノレールに着目し、導入の背景や、実際にどのような運用が行われていたのかなどについて調査し、現役当時の運転士にも話を聞いた。

100年間発展しなかったモノレール

モノレールが歴史に登場してから1世紀の間で、実用線として成功したのは、1901年3月に開業したドイツのヴッパータール空中鉄道が、ほぼ唯一の例だった。ヴッパータールの市街地は谷間の狭い地形に広がり、市内を流れるヴッパー川の上空に高速交通を通さなければならない事情があった。

だが、こうした特殊な例を除けば、わざわざ中空に1本のレールを敷設して、バランスを取るのが難しいモノレールを建設する理由がなかったため、モノレールという技術が発展することはなかった。

【写真】小田急のモノレールが採用していた「ロッキード式」とは?貴重な断面図や現役当時の姿、運行ダイヤなど(12枚)

ところが、世界各国の都市で交通渋滞が社会問題化すると、軌道桁(線路)を支える橋脚を立てる用地と、簡易な構造物のみで建設可能なモノレールが、再び注目されることになった。とくに海外に比べて道路率(道路面積/土地面積)が低い日本の都市への導入は効果的と思われた。それまで都市交通の主役であった路面電車の代替として地下鉄を導入するには、巨額の費用が必要であり、中容量の乗客輸送であれば、モノレールが最適と考えられたのである。

こうした背景から東京都交通局は、将来の都市交通の実験線という位置づけで、上野懸垂線(上野動物園モノレール、1957年12月開業)を建設した。このモノレールは、ヴッパータール空中鉄道をモデルとしつつ、騒音低減の観点からゴムタイヤを採用するなどの改良が加えられており、都交通局が中心となって技術開発に当たった国産技術に基づくモノレールと位置づけられた。

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