1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. ライフ
  4. ライフ総合

「引退から50年」長嶋茂雄は一体何が凄かったのか 監督時代も知らない人に伝える唯一無二の野球人

東洋経済オンライン / 2024年6月7日 14時0分

巨人元監督の長嶋茂雄(手前右)と元巨人の松井秀喜(左)(写真:時事)

読売巨人軍は球団創設90周年記念特別試合として5月3日の阪神戦を「長嶋茂雄DAY」とした。東京ドームには、車いす姿の長嶋茂雄が姿を現した。今年の2月で88歳になった長嶋茂雄は、観客席ににこやかに手を振った。5月3日から6月9日までは「レジェンドデー」となっている。

【写真】東京ドームに掲げられたジャイアンツレジェンドの告知

長嶋茂雄が「わが巨人軍は永久に不滅です」の言葉を残して現役を引退してから今年で丸50年。仮にプロ野球を理解できる年齢を「10歳から」と設定すると、ミスタージャイアンツ、長嶋茂雄をオンタイムで知っている世代は還暦過ぎということになる。

日本野球界は、イチローや現役の大谷翔平など多くのスーパースターを生んできたが、今振り返って、長嶋茂雄ほど日本人に大きな影響を与えたスターはいなかった。今や、長嶋の現役時代はおろか、監督時代さえ知らない人が多いが、改めて振り返ってみたい。

高校通算の本塁打は意外にも1本だけ

長嶋茂雄は1936年2月、千葉県臼井町(現佐倉市)に生まれ、中学から本格的に野球を始める。佐倉一高に進学し頭角を現す。3年生の夏、埼玉県大宮球場での南関東大会で350フィート(105m)のホームランを打って注目されたが、高校通算の本塁打はこの1本だけだった。

セレクションを受けて立教大学に入学。この時点では無名選手だったが、2度の首位打者に輝くなど東京六大学屈指の強打者となる。当時の東京六大学の通算本塁打記録は7本だったが、長嶋は4年生最後の試合で通算8本目の本塁打を打って更新し、ファンを沸かせた。

今の感覚では大学野球はプロへの登竜門という感じだが、長嶋が在籍していた1950年代まで、東京六大学はプロ野球と肩を並べる日本のトップリーグと思われていた。「プロと東京六大学、どちらが強いか」みたいな議論がまじめに行われていたし、新聞のスポーツ欄では、東京六大学のほうが扱いが大きいこともしばしばあった。

長嶋茂雄はその東京六大学のトップスターであり、その進路に全国のファンが注目した。立教大学の先輩で、南海ホークスの外野手だった大沢昌芳(のち大沢啓二、大沢親分)のスカウトで、長嶋はエースの杉浦忠と共に南海入りが決まりかけていた。しかし直前になって、長嶋の兄に強く働きかけていた巨人への入団が決まる。

最高のデビューをした長嶋

巨人や西鉄の名監督として知られた三原脩は、当時、巨人の本拠地球場だった後楽園球場の株を所有していたが、長嶋の入団が決まったとたん、後楽園の株が急騰して驚いたという。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

複数ページをまたぐ記事です

記事の最終ページでミッション達成してください