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「社会的地位のための結婚」規範が根強く残る背景 「そうであるべき」人生モデルからの解放を

東洋経済オンライン / 2024年6月17日 10時30分

アメリカのような多様な人たちが集まっている社会の中では、ひとつの規範、人生モデルに収まるようなことは難しく、年齢というファクターは日本より比重が低いように思います。

例えば、アメリカで暮らしているときに見ていると、人々は年齢が上がってもデートをしたりすることはよくあることです。80代でもオンラインで知り合った人とデートをしている、などという話を身近で聞くと、日本の40代女性が、結婚はもう自分たちが選択する道ではない、もしくは周囲が、あの人はX歳だからもう恋愛や結婚はしないのね、と思い込むのは年齢による人生の捉え方が画一的すぎるのではないか、と、いう議論もさまざまな人から指摘されました。

少し話は逸れるのですが、結婚や家族といった話題と同様に、欧米の大学関係者と話すときに不思議がられることが、日本では大学院に進学する人の多くが社会人経験を経ないこと、そしていったん仕事を始めると、途中で辞めてまた大学に戻ることは、これまで積んできたキャリアを手放す可能性があるためなかなか思い切れない、などです。

今でこそ、リスキリングなどということで社会人になってから勉強をされる方は増えていますが、欧米であるような、大学を出て何年か働いてからいったん仕事を辞めて大学院に戻る、ということは、それこそまだまだ「そうであるべき」人生モデルでは例外なのかもしれません。

個人的な話ですが、30代後半でこれまでのキャリアと少し異なる分野で学ぶことにした私は、そのあとどうするの? 就職できないわよ、と周りからずいぶん心配されたものです。ある日、大学院の授業料を振り込むために銀行へ行ったところ、銀行員の方に、「振込票に大学に行かれるお子様のお名前を書いてください」と言われたことがありました。私のようなミドル期女性が大学院で学ぶとは想像ができなかったのでしょう。

それでも、私は幸いにも、大学院に進み、好きなことを学び、仕事も得て、なんとかやっているわけですが、他人とは異なる、年齢に即したわかりやすいキャリア、「そうであるべき」人生を送ってこなかったために、そこから生まれる誤解、妙な気遣い、不自由こと、などが時々起こります。そんなとき、社会にはこういったものを避けたり、我慢するのがいやで、あきらめてしまう人も多くいるかもしれない、と感じることがあります。

アジアにルーツを持つ研究者ともよく話すのですが、これについては共感されることが多く、特に家族規範が日本と近いといわれる韓国では、ある年齢を超えてシングルとして生きることの難しさ、伝統的といわれる人生のパスから外れることへの社会的な視線について日本と同様の厳しさがうかがえます。ミドル期シングルという状態が望ましいものではない、と社会が決めつけ、それに抵抗するにも疲れてしまう、なので、なるべく「みえない」状態でいたいのよ、と自らのことを説明してくれた人もいました。

エイジズムとミドル期シングル

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