村上春樹『風の歌を聴け』が表現する日本的感性 「他人とは分かり合えない」から始まる人間関係
東洋経済オンライン / 2024年6月20日 11時0分
太宰治、三島由紀夫、大江健三郎、村上春樹、村上龍、高橋源一郎、島田雅彦……。戦後日本人の精神史を、京都大学の浜崎洋介氏、藤井聡氏、柴山桂太氏、川端祐一郎氏が代表的文学作品、文学批評から読み解いた『絶望の果ての戦後論』より、前回に続き一部抜粋・編集して紹介する。
「葛藤」を回避する文学
浜崎:僕が春樹を読んだのって、中学から高校にかけてなんですが、その頃ってやっぱり思春期だから「葛藤」が多いですよね。その頃の僕は「いじめ」を受けて、勉強も学校も何もかも放棄していたんですが、でも、春樹のように「みんな分かり合えないよね」というふうには開き直る場所も、その余裕もなかった。なぜなら相手は、勝手に、こちらの心のなかに踏み込んでくるからです。そこでどう生きるのかというときに、僕は春樹の文学では心を支えることができなかった。つまり、他者が自分の心のなかに踏み込んできたり、自分が他者の心のなかに踏み込まなければならないときに生じる「葛藤」、その「葛藤」を強いられたときに、春樹のスタイリズムでは、自分の心を守れなかったということです。
例えば、そのときに支えとなったのは、この一連の文学座談会でやった作品でいえば、大岡昇平の『俘虜記』とか、大江健三郎の「セヴンティーン」の方です。つまり、生きるか死ぬかの絶体絶命の瞬間における人間の「生き方」、その「倫理」の在り方を描き出すのが文学なら、当時の僕には、春樹の作品は、現状肯定的に見えたということです。あえて言えば、春樹が描くのは、全て「葛藤の世界」ではなく、「葛藤の終わった後の世界」なんです。もちろん、これは、春樹論として見れば、完全に「ないものねだり」なんですけど(笑)。
藤井:確かに、彼が描くのはおおよそ「世界の終わり」ですね。
浜崎:でも、春樹にも本当は「葛藤」はあったはずなんですよ。それは小説のなかでたびたび暗示される学生運動でしょう。でも、夏の一時だけこの「葛藤」から逃れて……。
柴山:故郷の街に帰ってビールを飲む、と。確かに新宿の騒乱とか出てきますからね。
浜崎:そう、新宿騒擾事件。その新宿騒擾事件だって、結局、全学連の学生が「米軍ジェット燃料輸送阻止」を叫んで新宿駅の線路を占拠した反米運動ですからね。でも、それには絶対に触れない。自殺してしまう女の子だって、ヒッピーの女の子だって、けっこう悲劇的な話なんですが、それもサラッと表層に触れるだけで決して深く入っていかない。
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