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江戸時代の「相場の神様」本間宗久に学ぶこと 「連戦連勝の相場師」を超えた哲学者だった

東洋経済オンライン / 2024年6月22日 9時30分

もっとも宗久、内心では「しめしめ」と思っていたかもしれない。これで自由人となって、思う存分、取引ができる。ただし、江戸へ出て始めた米投機は失敗に終わり、宗久は破産してしまう。察するにこの挫折経験が、後年の「相場三昧伝」に昇華したのであろう。

宗久は酒田に戻って態勢を立て直し、今度は当時の江戸を上回る天下の台所、大坂に向かう。そこで連戦連勝となって、前述のとおり天下に名を馳せる。とはいえ、そこは多分に伝説の要素もあって、宗久が築いた巨万の富がその後、どうなったかなどはわかっていない。

ところが地元・酒田の人々にとって、偉かったのは3代目の本間光丘のほうであった。光丘は私財を投じて防砂林を造り、以後も本間家は代々、植林を続けていく。

秋田県から山形県にかけては日本海から吹く風が強いところで、今も多くの風力発電の風車が建っている。かつては海風が砂を運んできて、稲作に甚大な被害を与えていた。庄内平野が国内有数の穀倉地帯となったのは、まさに本間家の努力のお陰という見方もできる。

さらに光丘は、庄内藩の財政再建を任されて成功し、士分に取り立てられている。晩年には、米沢藩の上杉鷹山の改革を助けてもいる。宗久とは違い、こちらはとことん酒田にとどまって地元に尽くす人生であった。

「記念館」をつくれば全国から市場関係者がやってくる

宗久と光丘はおじ・おいの関係になる。マーケットとビジネス、虚業と実業、私益と公益、グローバリズムと地元貢献。まことに対照的な人生だったことになる。

ただし両者は、晩年になってお互いを認め合うようになり、和解を遂げたそうである。それは望ましいことで、まっとうな部分といかがわしい部分、両方がそろわないと資本主義という仕組みは成立しないことになっている。

こうなると筆者の悪い癖で、「本間宗久と光丘の、対立と和解の歴史を描くNHK大河ドラマはどうだろう?」などと考えてしまう。宗久と光丘の間には、実は若い頃から一種の「出来レース」があったと考えると面白い。

播州・姫路に修行に出された若き日の光丘を宗久が陰で支援していたとか、江戸で破産して帰ってきた宗久を光丘が励ましたとか、死に際の宗久が「ワシの財産は全部、酒田の防砂林事業に使ってくれえ」と言い残すとか、いいドラマができるんじゃないかと思うのである。

今どき「大河ドラマで街おこし」とは、われながら少々古い発想だとは思う。とはいうものの、現在の酒田市は「売地」の看板が目立ち、お店も早い時間に閉店してしまう、ちょっと寂しい街なのである。有名な「酒田ラーメン」のお店も、午後3時にはほとんど閉店してしまうので、哀しいかな食べそびれてしまったのである。

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