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「2浪3留京大」人力車に情熱注ぐ彼の豊かな生き方 数学が苦手なのに理系志望、彼が貫いた信念

東洋経済オンライン / 2024年6月23日 8時20分

「当時の様子を母親に聞くと、すぐ手が出る問題児だったようで、近所を歩くのが恥ずかしかったそうです。ただ、友達に怪我をさせてしまったときに、一緒に謝りに行ってくれた父親が、友達の両親に土下座しているのを見て、罪悪感を抱いたことが変わるきっかけになりました。

もちろん、いちばん申し訳ないのは友達と友達のご両親ですが、子どもの頃の自分にとって、いちばんショックで鮮明に覚えているのが父のその姿だったのです。それから自分勝手なことはできないと思い、一切人に手をあげたり、怒ったりしなくなりました」

問題児から優等生に変わっていく中でも変わらなかったことは勉強の出来だったようで、小学校のクラスではいつも成績は1位。進学した公立中学校でも、いつも5位以内には入っていました。その中でも特に英語は、抜群の成績だったそうです。



「『これからは英語くらい喋れないといけない』と父に言われ、幼稚園から高校2年生くらいまで英会話の先生に英語を教えてもらっていました。中2まではサボっていたのですが、一念発起して本屋の英語の教材コーナーで英文法書を買ってきて、朝の1限の前にある読書の時間で、1年間かけて読破しました。英会話を習っていることを知ってる友達に『なんか喋ってや!』と言われて、喋れなくてごまかす自分が許せなかったんです」

中学からクラブチームでサッカーを始めた竹林さんは、その移動中にもずっと英語の文法書を読んでいたそうです。そうした努力を続けた結果、彼は中3で英検準1級を獲得しました。

内申点で最高の45/45点の成績を記録しながらも気を抜かず、友達と一緒に図書館で閉館の21時ごろまで勉強していた竹林さんは、学区で一番の偏差値だった県立の進学校、旭丘高等学校に進学しました。

こうして高校に進学した竹林さん。周囲がみんな優秀なので驚いたそうですが、英語で学年トップクラスの成績を取り、「ここでも自分は通用する」という確かな実感を得たそうです。ほかの科目でも真ん中より少し上くらいの成績は取れたようで、頑張ったらやっていけるかなと思えたそうです。

高校1年生の冬にはフリースタイルフットボールにはまったという理由で、これまで続けてきたサッカー部をやめましたが、部活をやめて時間ができた分「今できることをやって、やりたいことができたときに役立てられるように」と勉強にもより力を入れるようになりました。

いつも前向きに目の前のことをこなしてきた竹林さん。しかし、このあたりで自身の最大の欠点に向き合わざるをえなくなります。それが、「数学の問題が早く解けない」ということでした。

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