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「2浪3留京大」人力車に情熱注ぐ彼の豊かな生き方 数学が苦手なのに理系志望、彼が貫いた信念

東洋経済オンライン / 2024年6月23日 8時20分

親に予備校代100万円を払わせるのが申し訳なかったのと、宅浪でも受かる人がいることがわかったために、先生や親の反対を振り切って、駿台への入学の申し込みをキャンセルしてしまいました」

こうして8時ごろに起きて、近所のスターバックスやドトールに行って勉強する生活を送ることになった竹林さん。「最初のほうは体を動かすことも大事だと思い、1日4~5時間の勉強だった」そうですが、夏ごろからは20~21時ごろまで勉強するようになったそうです。

数学・物理・化学の教科書をしっかり読み直して基礎を固め、成績もそれなりに上がったようで、最初はD判定だった模試も最後のほうはC判定が取れるようになってきました。

センター試験では数学がI+AとII+B合わせて102/200点だったものの、全科目の合計は83%で(京大に受かるかは)五分五分だと思った」竹林さんは、この年も前期で京大工学部、後期で京都工芸繊維大学を受験する決意を固めます。

しかし、この年も残念ながら合格点に30点ほど届かずに落ちてしまいました。

「センター試験は解けないとわかっていたので、それでもこのパーセンテージならいけるんじゃないかと思っていました。2次試験でも得意の英語は解けていて121/150点だったのですが、それでも数学でミスをして45/200点しか取れませんでした」

この結果を受けて、後期で京都工芸繊維大学に挑んだ竹林さんは、大学で挽回することを心に決めます。合格したら京都工芸繊維大に進むつもりで、大学近くの下宿も契約をしていたそうですが、ここも落ちてしまったそうです。

「一緒に浪人していた友達とビリヤードをしに行って、受付待ちのときに結果を見たのですが、友達に『お前、(番号)ないやん……』って言われてびっくりしました。2浪するしかなくなったので、ビリヤードせずにすぐに家に帰って、決まってた下宿を取りやめました。友達はドン引きしていたのですが、僕自身は絶望といった感情は一切なくて、能天気に『落ちてるやん、わろた。行くところがないから2浪するか』という感じでした。自分にはこの図太さがあったから、今まで生きてこれた気はします(笑)」

こうして2浪が確定した竹林さんは、河合塾名駅校に通い始めます。

予備校に通うようになって、落ちた理由を彼は「勉強時間が不足していた」と分析します。

「宅浪の前半は遊んでしまって、演習が足りていませんでした。予備校に通っていた人に比べたら勉強してないのが、最後に出てしまったんだと思います」

京大工学部を目指した明確な理由

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