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4浪立命館「漆職人」彼の"後悔し続けた"浪人生活 一方で「無駄ではなかった」とも語る彼のいま

東洋経済オンライン / 2024年6月30日 8時0分

「大人になってから考えてみると、私は周囲の子ども以上に子どもだったから、一般常識・社会常識が欠けていたのだと思います。甘やかされて育った、自分の意見を言えない子どもでした」

こうして公立中学校に進学したK.Rさん。受験での失敗が大きな挫折となったのかと思いきや、自分で考えて行動していないためか、悔しく感じたことはなかったそうです。

一方で小学校のときに、すでに中学レベルの勉強もしていたため、中学に入ったときの成績は100人いる学年の中でも1~2番でした。

「当時の勉強は惰性だった」とK.Rさんは語りますが、中学での勉強には「あまり苦労を感じたことはない」と話すだけあって、卒業する頃にはやや成績が落ちたものの、上位8番くらいでとどまりました。

高校受験では進学校である県立横須賀高等学校に合格し、進学します。しかし、ここから彼の成績はみるみる下がり始めます。

部活動に打ち込み勉強をしない日々

県立横須賀高等学校に進んだK.Rさんは、中学時代に所属していたブラスバンド部とは打って変わり、ラグビー部に入って部活に打ち込みます。その日々を振り返って彼は「当時は全然勉強しなかった」と語ります。

「成績はずっと下のほうで、クラスの一番下から2〜3番目という感じでした。地理と保健だけは得意で学年トップだったのですが、好きな科目しか勉強しなかったんです。最高学年までやりたいことも志望校も決まらないまま、センター試験を受けました。

点数は全然思い出せないのですが、低かったので、国立の医学部で唯一二段階選抜がなかった宮崎医科大学(現・宮崎大学医学部)を受けて落ちたことしか覚えていません。

親の希望もあって小学校からずっと医学部志望でした。受かるわけがないと思っていたのですが、何となく受験の世界に乗っかっている雰囲気を出すためだけに宮崎まで行ったんです。交通費も、宿代もかかるのに……。今考えても本当にひどい人間ですよ」

こうして現役の受験をあっけなく終えたK.Rさんでしたが、落ちる前からもう浪人すること自体は当然だと思っていたそうです。その理由としては、「大学に行くというのが当然の環境にいたため」と語ってくれました。

「志望校もなかったですし、浪人すれば何とかなるとすら思っていません。ただ、うちの学校は大学進学率が99%くらいでした。大学に行かないという人がほぼいない環境だったので、浪人以外の選択肢は自分の中になかったんです」

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