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「ソクラテスの毒杯」から西洋哲学が始まった理由 グローバリズム批判は「高貴ないきがり」である

東洋経済オンライン / 2024年7月1日 11時0分

古川:完全にわかり合えるのでも、完全にわかり合えないのでも、どちらであってもわかろうとする努力をしなくなってしまいます。わかり合えることとわかり合えないこととの「あわい」のようなところを、九鬼は大事にしたのだと思います。

中野:もっと言うと、「俺たちってわかり合えないね」ってことをわかり合う(笑)。

佐藤:第2回の記事で紹介したピーター・ブルックの例がまさにそれですよ。バリ島の仮面を、現地の役者と同じ所作で使うことはできない。ただし所作が違っても、同じぐらい説得力のある形で使うことはできる。

中野:どこに違いの線があるかを明確にするということは、それ以外のところをわかり合っているということですね。「必然というのは偶然じゃないということを言っている」というのも同じことで、偶然と必然は別物じゃなく、偶然じゃないことが必然。九鬼はそういう議論を展開している。

中野:それで言うと、坂部先生の議論がなぜダメか、日本の閉鎖的なのがダメと言う人たちがなぜダメかというと、あなた方の大好きな「開かれた」というのは閉じた世界じゃない状態に過ぎない。だから、開かれたらよくて、閉じたらダメというわけじゃない。開かれるというのは閉じることがあって初めて成り立つ。開かれるためには閉じることも必要で、そのバランスが大事だということでしょう。

古川:完全にそのとおりです。必然性と偶然性、あるいは普遍性と個別性とは、コインの表と裏のようなもので、だから対立しながら相互に依存する関係だと九鬼は考えていました。これは特に『偶然性の問題』になって強調されてくる見方ですが。同じように、閉じることと開くことについても、「閉じることによって開く、開くことによって閉じる」という弁証法的な関係を九鬼は考えていたはずです。

「多元的な世界」が「多様性ある世界」を生む

施:そうですね、野球にこだわって申し訳ないんですが、例えばイチローや大谷のような選手が生まれたのは、日本の野球が全部開かれているというわけではなかったからでしょう。イチロー選手のプレーはまさに武道の体の使い方に近い部分があったと思いますが、彼らを育んだのは一球入魂の高校野球でしょうし。

中野:そういった意味では、大谷選手も最初からアメリカに行かなかったのが正解だったんでしょうね。

施:そういうことだと思います。サッカーでは楽天の三木谷さんなどは、日本のサッカーも外国人選手の制限を撤廃して、結果的に全員外国人選手になってしまってもいいと言っていますが、全部開いてしまうと逆に多様性はなくなると思うんです。ワンワールド的なグローバル社会を作ってしまうと、近い将来、すぐに世界の多様性はなくなってしまう。

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