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「ソクラテスの毒杯」から西洋哲学が始まった理由 グローバリズム批判は「高貴ないきがり」である

東洋経済オンライン / 2024年7月1日 11時0分

われわれの社会の外には別の社会が複数あって、それらの社会ではこちら側とは異なる解釈に基づいて様々なことが行われている。そういう多元的な世界があるからこそ、多様性ある世界は生まれるのです。だから、閉じたものと開いたものとのバランスを取ることが重要だと思うんです。「いき」の話なんかも、うまく閉じる・開く、その中でカッコよさを認めるということを言ってるんじゃないですかね。

中野:まさに「いき」が典型で、九鬼は百も承知なんでしょうけど、「いき」は本を読んでわかるということじゃなくて、やっぱり実践しなきゃいけないでしょうね。九鬼の文章って、読めば読むほど西洋哲学をよ~く知っている手練れの人の文章で、かなりユニバーサルですね。「いき」はヨーロッパ人に理解できないって言うけれど、『「いき」の構造』を読んだら理解した気にみんななりますよ(笑)。

古川:「理解」はできるように、つまり「理屈ではわかる」ように書いているんですね。それが理性の役割であり学問の仕事であると九鬼は考えています。でも、ホントのところはお前らにはわからんよと、突き放されている感じもする。実際、『「いき」の構造』は、九鬼自身の「いき」の体験に基づいて、これは「いき」だ、これは「いき」ではないと断言されまくっているので、私のような無粋な人間は読んでもさっぱりわかりません(笑)。

佐藤:「いき」が認識ではなく、実践、体験の領域の問題だとすれば、「現実には有効性がなくても、認識としては正しい」などと弁護することはできません。そういうのは「いき」ではなく、「いきがる」と呼びます。

中野:実践をおろそかにして、認識だけでやれば間違った解釈が生まれるでしょう。しかし、実践でしか現れないものを言い表すのは難しいですね。哲学者はそういう面倒なことをやっているのです(笑)。

古川さんに少し補足的にお伺いしたいのが、エネルギーの法則を、イギリス人は実験から、ドイツ人は観察から、フランス人は特殊的なものに注目してエントロピー増大の法則を立てたってありましたよね。これに関しては、思いっきり普遍的で、通約可能なものを見つけていませんか。みんな、自然の法則を理解しているのではないかと。

「体験に基づいた認識」の重要性

古川:そういう普遍的な認識や共通理解そのものを否定しているわけではないんです。ただ、そこに至る道が違うということです。

九鬼という哲学者の面白いところは、一方では体験や実践の直接性に非常にこだわると同時に、他方では理性による論理的な分析や説明を徹底的にやるところです。体験はあくまで個別的なもので、わかり合えないけれど、だからこそ、それをできるかぎり言葉にして論理的に説明する。それが哲学だと彼は考えています。

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