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「奨学金500万円」それでも母が大学進学させた結果 「うちは中流よりは下」と思ってた子どものその後

東洋経済オンライン / 2024年7月4日 11時30分

ただ、6年間の間に6回も小学校が変わって、苦労したのは赤井さんだけではなかった。

中学2年生のときに両親が離婚

「仕事の都合とはいえ、引っ越しがここまで多くなると、夫婦仲は悪くなっていきます。最後の引っ越しで郊外に家を建てたのですが、僕が中学2年生のときに両親は離婚しました。まぁ、離婚の原因は父親の女癖の悪さもあったので、子どもたちは3人とも母に付いて行くことになりました」

こうして、母子家庭となった赤井さん。時代も時代のため、「高校を卒業したら働きなさい」と言われても不思議ではないが、県内有数の進学校に入学して、大学進学を目指す。

「母は昭和10年代生まれですが、国立大学の2年課程の『別科』を卒業しています。そのため、子どもの頃から『あんたは男だから学歴を付けないかん』とは、ずっと言われており、大学に行くことは既定路線でした。

そのため、母は女手ひとつで働きながら、僕を高校に通わせてくれましたが、それでも資金が足りなかったため、大学に行くためには奨学金が絶対条件だったのです」

赤井さんは小学生の頃は科学者を夢見ていた。そして、成長するにつれて、医者も目指すようになるが、金銭的な事情もあり、浪人生活は難しいと考え、薬学部を志望する。そして、「現役」でどこかに受かりたかったため、さまざまな大学を受けた。

「税務大学校、防衛大学校、地元と近隣県の国立大学、そして公立薬科大学の5校を受験しました。税務大学校と防衛大学校は不合格でしたが、それ以外の3校には無事合格しました。

それで、薬科大学に進みたかったのですが、入学手続きで同校の事務室を訪れた際に『奨学金とアルバイトで学費を賄う予定だ』と伝えたところ、『2年生まではなんとかなるけど、3〜4年生は実験が多いから無理だと思う』と言われてしまったため、その大学は諦めることにしました」

国立大学の理学部に入学し、奨学金を借りる

こうして、地元の国立大学の理学部に入学した赤井さん。本意ではなかったが、家から通えることは救いだった。

そして、当時の日本育英会(現・日本学生支援機構)から、毎月4万円奨学金を借りることになる。

「当時は通常奨学金と特別奨学金があって、通常は3万6000円で、特別が4万円でした。どちらも、返済するときは3万6000円でよく、4000円は返済免除されたのです。また、通常でも指定された研究機関、または教員になった場合は全額免除という制度でした。

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