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「奨学金500万円」それでも母が大学進学させた結果 「うちは中流よりは下」と思ってた子どものその後

東洋経済オンライン / 2024年7月4日 11時30分

「時代的にバブルが弾けてリストラが始まったのです。当初は研究所から営業に回されるような社員がリストラの対象だったため、『しょうがないかな』と思っていました。しかし、次第に入社2年目の社員までも対象になっていたため、『これはいかんな』と思い、会社を離れることにしたのです」

2年目からは収入がうなぎのぼり

外資系の大手製薬会社に転職した赤井さん。科学者としてさまざまな薬をネズミやサルに投与していたそうだ。

まるで、絵に描いたような「サイエンティスト(科学者)」だが、給料は据え置きだったという。

「転職して1年目は給料が上がるどころか、下がってしまい、妻に心配されました。でも、2年目からは本当にうなぎのぼりで上がっていきました。というのも、月々の給与は変わらないのですが、年に3回のボーナスが査定によって、20カ月分もらえることもあるんです。面白いですよね。

もちろん、その逆もしかりでボーナス月なのにまったく支払われない人もいました。だから、人間関係ギスギスしていましたが、それに耐えられる人にとってはいい職場だと思います」

転職して3年目にはボーナスでポルシェを買えるほど、裕福になった赤井さん。奨学金の返済もしばらくは続いたが、7年が経つ頃には完済。

42歳にして20年間の奨学金返済のしがらみから抜け出せたはずだが、人生は思い通りにはうまくいかない。

「ようやく、裕福になれたと思ったら、研究所が閉鎖されて、職員が全員クビになってしまいました。さすが、外資ですね……。慌てて部下たちの次の職場を確保したのち、僕も国内大手の製薬会社に雇ってもらえました。そこから、11年勤務していたのですが、またリストラ騒ぎが起きてしまいます。そのとき、僕は部長だったのですが、リストラ候補の社員たちと面談を行う必要があり、それがつらくて……。

言っても国内大手の製薬会社のため、給料は外資と比べれば高くはないのですが、安定はしているため、常々部下たちには『そこは目をつぶってくれよ』と言っていました。しかし、それが崩れてしまったため、もはや合わせる顔もなく……。心が折れてしまい、リストラする側の私が会社を辞めたのでした」

50代にして職を失ってしまうのも、かなりハードな事態だが、それでもこれまでの実績がある。冒頭で紹介したように、赤井さんは56歳でサラリーマン生活を終え、特任教授にジョブチェンジを果たすことができた。

「会社を辞める前に上司から『とある国立大学で特任教授の公募があるけど受けてみたら?』と紹介されて、履歴書を送って面接を受けたところ、今の職場にたどり着きました」

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