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多摩モノレール延伸区間「幻の鉄道計画」の顛末 政界巻き込む事件に発展「武州鉄道」の壮大構想

東洋経済オンライン / 2024年7月5日 7時0分

運輸大臣ならば免許を交付する権限があるのは当然だろうと思われるかもしれないが、弁護人は、運輸大臣と、運輸大臣からの諮問を受けて免許の可否等を審議する運輸審議会との関係性から次のように主張した。

「運輸審議会は運輸大臣の所掌事務から独立した行政機関であり(中略)独自の権限に基づき公正な決定をなすべきであって、運輸大臣といえども審議会を指揮監督できない。運輸大臣は諮問前はもとより、諮問後も答申があるまでは、免許の決定権を行使できる段階でなく、かりに五回にわたり金銭の授受が行われたにしても、その時期には楢橋には武鉄免許に関する職務権限がなかった」

この主張の論点は2つあり、まず、運輸審議会に対し、運輸大臣の職務権限が及ぶのかが問題となる。そこで運輸審議会における審議・答申までの流れを見ると、次のようになっている。

「運輸審議会は、本省(運輸省)から資料の提供を求めたり、係官からの聴取、さらには他の機関に調査を依頼したり、また必要と認めたときは公聴会、聴聞会を開いて審理し、審議会として免許の可否を決定。この運輸審議会の意見は答申として会長から大臣に報告され、大臣は、この答申を参酌し、かつ、これを尊重して正式に免許の可否を決め、申請に対し免許あるいは却下の決裁をする仕組みになっている」(『戦後政治裁判史録3』)

これを素直に読めば、運輸審議会における審議は運輸大臣の職権から独立して行われるとともに、公共性の極めて高い鉄道免許の可否が、恣意的な判断に左右されないよう、意思決定の多重性が確保されていると見ることもできる。

次に時系列的な観点から見ると、武州鉄道に免許が下りる1年前の1960年7月に、岸内閣は総辞職しており、後継の池田内閣では木暮武太夫(ぶだゆう)が運輸大臣に就任し、武州鉄道の免許は、この木暮大臣名義で下付されている。

仮に楢橋が金銭を受け取ったにしろ、運輸審議会の答申(1961年7月6日)前のことであり、その時点において、楢橋に武州鉄道の免許の可否を決定する職務権限はなかったと弁護人は主張したのである。しかし、東京地裁は次のように、この主張を退けた。

「運輸審議会は、運輸省に設置された諮問機関であり、運輸大臣の諮問に応じて意見を答申し(中略)これらの意見は決定権者である運輸大臣の参考意見にとどまり、何ら決定権者を拘束しない。(中略)運輸審議会委員七人のうち一人は運輸事務次官であり、原局の長も審議会に意見を述べたり、審議会の要求で資料を提出しなければならぬ規定もある。従って少なくとも大臣の職務権限は、大臣官房や原局の長を通じ右に掲げた範囲で審議会に及び、特定事案について運輸大臣の権限自体が運輸審議会の権限によって限定・変更されることはない。諮問前であろうと諮問が進行中であろうと、運輸大臣が当該事案について免許に関する職務権限を有しないと解することはできない」(運輸審議会の委員構成等は当時のもの)

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