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中央道・高井戸IC近く「ナゾのトンネル」何のため 歴史を紐解き見えてきた「団地との深い関係」

東洋経済オンライン / 2024年7月22日 9時20分

先にこの地に建設されたのは烏山北住宅で、第2次世界大戦後に生じた深刻な住宅難を解決すべく整備された住宅団地の1つだ。

1963年から東京都住宅公社(東京都住宅供給公社の前身のひとつ)により建設が進められ、東京都住宅供給公社が発足した翌年の1966年2月に入居がはじまり、翌年10月までに入居が完了した。

このとき、団地内の中央を東西に通るように細長い土地が取られていた。これが中央自動車道の建設予定地だった。

中央自動車道は1962年に東京~富士吉田間建設の施行命令が出されると、先に調布インターチェンジ以西から開業。1967年末から1969年にかけて調布インターチェンジ~河口湖インターチェンジ間が順次開通した。

そして、高井戸インターチェンジ~調布インターチェンジ間は1966年7月に都市計画決定がなされ、烏山北住宅内を中央自動車道と側道として都市計画道路が通ることが正式に決定。そして事業決定は1968年12月に行われた。

さて、このように近い時期に団地と高速道路の計画や建設がなされたのであれば、相互に連携をとっており、住民も納得したうえで入居したと思うだろう。

しかし、現実はそうではなかった。烏山北住宅の入居は1966年2月開始。都市計画決定は同年7月。さらにいえば、事業決定は入居完了翌年の12月のことだった。

こうした経緯から、東京都住宅供給公社は入居者に対し、高速道路や都市計画道路の建設計画について十分な説明を行わなかったのである。

その問題が噴出したのが1970年7月のこと。日本道路公団が烏山北住宅内部の土地買収を完了し、工事にあたって説明会を行う段になってのことだった。この工事説明会とその工事内容は、入居時に説明を受けていなかった烏山北住宅の住民にとって、「寝耳に水」だったという。

説明会に出席した人数は多くなかったが、東京都住宅供給公社の説明がなかったことに対する不満、そして工事への懸念が団地内へ一気に広がる。そして、7月12日には「烏山北住宅道路対策協議会」(以下、烏山道対協)が組織され、団地の多くの住民が加盟する一大住民運動となったのであった。

住民運動の背景にあった環境意識の高まり

これほどまでに反発が起きたのには、東京都住宅供給公社の説明不足の他に、大きなポイントが2つあった。

1つは公害問題の顕在化による環境保護意識の高まりだ。1950年代にはイタイイタイ病や水俣病が話題となり、全国的に公害に対する意識が高まり、1967年には公害対策基本法、1968年には大気汚染防止法と騒音規制法が制定された。

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