1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. ライフ
  4. ライフ総合

中央道・高井戸IC近く「ナゾのトンネル」何のため 歴史を紐解き見えてきた「団地との深い関係」

東洋経済オンライン / 2024年7月22日 9時20分

また烏山道対協設立とほぼ時を同じくして、日本初の光化学スモッグ被害が杉並区の高校で発生しており、身近な問題として公害が捉えられ、高速道路開業による排出ガスや騒音の増加に対し強い懸念があった。

もう1つのポイントは中央自動車道と共に都市計画道路補助219号線(以下、補助219号線)が高架下に建設される計画だったことだ。

補助219号線は、中央に中央自動車道の高架14.5メートル、高架を挟んでそれぞれ片側2車線・幅員6.5メートルの車道と4.25メートルの植樹帯および歩道を設けるという計画であった。

すると、団地の住棟から歩道までは最も狭いところでわずか1.4メートル、車道までは5.65メートルしかない。このため住棟と補助219号線が近すぎる、片側2車線の道路が団地を横切る形になることに対し、団地の分断が起き、交通事故が増加するという強い懸念があった。

こうした背景事情もあり、烏山道対協側は騒音対策を中心とした「住環境保全」を東京都や日本道路公団に求め、住民運動を展開していくこととなる。

また、そこには既に建設が進み、開業区間もある中央自動車道の建設に対し、「通さない」という主張では理解が得にくいという考えもあったという。

"話し合い"で解決を模索した都と道路公団

「住環境保全」を求める烏山道対協に対し、東京都や日本道路公団は話し合いによる解決を模索し、一時的な工事の中止を決定する。そして隣接する杉並区の高井戸地区と共に850メートルの工事中止区間が現れることとなった。

はじめ、烏山道対協は道路の地下化を日本道路公団と東京都に要求した。烏山道対協設立直後の7月21日には当時の東京都知事の美濃部亮吉氏が世田谷区内で行った対話集会で、都市計画道路を地下化することも検討する旨の発言をした。革新都政で知られる美濃部氏のこの発言は地下化要求の後押しになったようだ。

道路公団からはその後、1970年11月に高さ2メートルの遮音壁と住宅の二重窓化が、翌年はじめに通常の防音壁より高い5メートルの防音壁がそれぞれ提案された。だが、烏山道対協側は騒音対策に関して不十分かつ、根本的な再検討をすることを日本道路公団に求めた。

その後、烏山道対協は烏山道対協、東京都、日本道路公団、東京都住宅供給公社の四者での協議の場設置を求め、1971年12月には第1回四者協議会が開催された。

1972年に入ると、改めて日本道路公団は地下化案を否定。その理由として、地下区間の前後に設ける坂路になる区間の住民が高架建設に比べてより大きな騒音や排出ガスを受ける点、そして既に道路用地を提供した地権者に地下化用の道路提供を依頼することになる点を挙げた。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

複数ページをまたぐ記事です

記事の最終ページでミッション達成してください