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大谷翔平が「世界一」と紹介"もちもち"ヨーグルト 岩手・岩泉ヨーグルト 誕生秘話と苦難を聞く

東洋経済オンライン / 2024年7月22日 10時0分

岩泉ヨーグルト生みの親・岩泉ホールディングス社長の山下欽也さん(写真:筆者撮影)

メジャーリーグ・ドジャースの大谷翔平選手が2023年、インタビューで出身地・岩手県の名物を尋ねられ、「本当に美味しくて、僕は世界一だと思っています」と紹介したのが岩泉ホールディングス(HD)製造の「岩泉ヨーグルト」だ。

【写真10枚】大谷翔平選手に「世界一」と称された岩泉ヨーグルト

インタビュー記事がネットで公開されると直後は同社通販サイトでの売上は7倍に跳ね上がった。1kgまたは2kgの特大サイズのアルミパウチが目を引くヨーグルトは、もっちりした独特の食感がウリで、全国の高級スーパーなどに販路を広げている。

生みの親である山下欽也社長は、赤字の第3セクターだった岩泉乳業(当時)を倒産危機から立て直し、豪雨災害の試練も乗り越えてきた。

大谷選手、高校時代に食べていた?

大谷選手のインタビュー記事について、山下社長は「うれしいというよりもまずびっくりしましたね。岩手が誇る大谷選手には前からお近づきになりたかったんですが、接点が作れなかったんです」と驚きを隠せない。

しかし、実は接点は以前からあった。岩泉HDは地元アスリートの支援活動として、大谷選手が在席した花巻東高校を含め甲子園に出場する部員たちにヨーグルトの無償提供を続けてきたのだ。

大谷選手が少なくとも高校時代に食べていたであろう、このヨーグルト。その誕生は2006年のことだ。

【写真】経営難を救ったモチモチのヨーグルトは偶然生まれた(10枚)

岩泉HDがある岩手県岩泉町は、北上山地の山あいにあり、初夏には冷たいやませが入り込む貧しい土地だった。その代わりに高原を利用した農耕や輸送に使う牛の生産が盛んになり、明治時代初頭には酪農が始まった。

山下さんの家にも10頭の牛がいた。「かわいがっている牛に元気がないと心配でたまらない。牛は家族同然でした」。反面、思春期には都会にあこがれた。しかし16歳のとき、父親が木の伐採中の事故で急死。「いつかは都会に」という山下さんの望みは打ち砕かれた。

長男として家族を支えるため、大学進学を断念し、岩手県外での就職も諦めた。「これも運命なんだな」。専門学校で農業を学ぶと岩泉町の農協に就職した。

安定した農協職員から"町の起爆剤"3セクへ

それからは農協職員一筋30年。経営者になるなど考えたこともないサラリーマンだった。26歳で結婚し、子どもは3人。酪農家の牛舎を回り、生産性向上の指導をする毎日を送った。

一方、酪農をめぐる環境はにわかに厳しさを増していた。平成に入ったころから、乳製品の輸入自由化などで価格競争が激化し、乳価は低迷。町でも酪農家の廃業が相次ぎ、軒数は最盛期の半分以下にまで減少した。

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