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「いつかはわかり合えると思った」亡き妻への後悔 「源氏物語」を角田光代の現代訳で読む・葵⑥

東洋経済オンライン / 2024年7月28日 17時0分

のぼりぬる煙(けぶり)はそれとわかねどもなべて雲居(くもゐ)のあはれなるかな
(立ち上っていった火葬の煙は、雲と混じり合って判別がつかないけれど、空のすべてがしみじみとなつかしく思える)

取り返しのつかないことばかり思い出す

左大臣家に帰ってきてからも、光君は一睡もできず、葵の上と夫婦であった長い年月を思い出しては、思う。

どうして、いつかは自分の気持ちをわかってくれるさ、などとのんびりかまえて、気まぐれな浮気なんてして、恨まれるように仕向けたんだろう。夫婦になってからずっと、この私のことを、心を許せない気詰まりな夫と思ったまま、一生を終えてしまったのだな……。

どうにも取り返しのつかないことばかり次々と思い出すけれども、今となってはどうしようもない。鈍色(にびいろ)の喪服を着るのも、夢を見ているようである。もし自分が先に逝っていたら、あの人はもっと濃い鈍色に染めていただろうと思うとまた悲しみがこみ上げる。

限りあれば薄墨衣(うすずみころも)浅けれど涙ぞ袖(そで)をふちとなしける
(妻を亡くした場合のしきたり通り喪服の色は薄いけれど、悲しみは深く、涙は袖を淵(ふち)としてしまう)

経文を読みつつ、「法界三昧普賢大士(ほうかいざんまいふげんだいじ)」と低く唱えている光君の姿は優美で気品に満ち、修行を積んだ法師よりも尊く見える。生まれたばかりの御子を見ても、「この子がいなければ何によって故人を偲(しの)ぶことができよう」といっそう涙があふれてくるが、せめて忘れ形見として御子を残していってくれたのだと自分の心をなぐさめる。

母宮は悲嘆に暮れて、臥せったまま起き上がることができず、命まで危ないように見えるので、左大臣家の人々はまた騒ぎ出し、祈禱などをさせる。

はかなく日は過ぎていき、七日ごとの法事の準備などをするのだが、こんなことになろうとは思っていなかったので、左大臣の悲しみはただ増すばかりである。取り柄のないつまらない子どもでも、亡くなれば親はどれほど悲しむだろう。葵の上に至ってはその比ではないのも致し方ないことである。葵の上のほかに姫君がいないことすらもの足りなく思っていたのに、今は、たいせつに袖の上に捧(ささ)げ持っていた玉が砕けた、などというよりもっと深い嘆きようである。

たまらない悲しみに襲われる

光君は、二条院にほんの少し帰ることもせず、心の底から悲しみに打ちひしがれ、仏前の行いを几帳面(きちょうめん)に続けて日を過ごしている。それまで通っていたあちらこちらの人々へは、手紙だけ送っていた。

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