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超上昇志向の彼女が「履歴書の空白」決断した真意 あえてキャリアブレイクをとった「3つの理由」

東洋経済オンライン / 2024年8月1日 10時0分

当時から、キャリアを緻密に計画していましたね。例えば、当時はまだ東京オリンピックが決まっていなかったのですが、「いつか東京オリンピックが開催されるはずだから、その取材をする」という目標を掲げて、そこから逆算して「◯歳までに◯◯をする」と決めていました。

ーーなるべくキャリアに不確実性がないようにしていたということでしょうか?

吉田:そうです。私はよく「チャレンジ精神旺盛だね」と言われるのですが、本当はすごく臆病で、失敗することをなるべく避けるために逆算をしていたんだと思います。

例えば、共同通信の正社員を辞めて、テレビの放送に関わる日本企業に転職したのも、目標から逆算してのことでした。国際メディアのキャスターの仕事に応募するには、テレビの経験が絶対に必要になるだろうと。そんなふうに、なるべくキャリアを逆算し、さらに失敗したときの代替案となる「プランB」まで考えていましたね。

キャリアブレイクをとった3つの理由

ーーキャリアブレイクも、目標から逆算していたのでしょうか?

吉田:たしかに逆算していた部分もあります。

私がキャリアブレイクをとった大きな理由は「家族単位の幸せ」を考えた結果です。きっかけは3つありました。

仕事柄、いろいろな女性リーダーにお話を聞く機会があったのですが、取材で多くの方がおっしゃていたのが「子どもが小さいときに、もう少し一緒にいたかった」という後悔でした。幼稚園に上がるタイミングの3、4歳で辞めざるを得ないという人も一定数いました。

私も長男がその年齢に達したときに「子どもといたい」という気持ちが「仕事のやり甲斐」を少しでも上回れば、会社員を辞めてフリーランスに切り替える選択肢をとれる状態にしておこう、それまでにスキルを身につけよう、と考えていました。

そのためには、1年も産休・育休をとっていたら間に合わないと考え、産後2カ月で復職して、仕事メインの生活にしました。そしたら本当に、長男が3歳になるときに辞めるタイミングが来たんです。

もうひとつは、「仕事をやり切った」ということ。中学生の頃に掲げた「東京オリンピックの取材をする」という目標も叶いました。東京オリンピックの閉会式の会場で、「ARIGATO」の文字が電光掲示板にぱっと表示されたのを見た瞬間に、「あ、もうやり切ったから辞めよう」と思ったんです。

そして3つ目は、我が家の場合ですが共働きの限界を感じてしまったこと。私は報道、夫は金融と、お互いにハードな仕事。家族単位での幸せを考えたら、お互いに今の働き方を続けるのはサステナブルじゃない。話し合いの中で、性別役割分業(女性だから家庭に入るなど)の視点はなく、そろそろ「どちらかが家庭、どちらかが仕事」メインという生活にシフトしたほうがいいよね、という話になりました。

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