妻の死に直面した光源氏が女たちに吐露した心境 「源氏物語」を角田光代の現代訳で読む・葵⑦
東洋経済オンライン / 2024年8月4日 17時0分
輝く皇子は、数多くの恋と波瀾に満ちた運命に動かされてゆく。
NHK大河ドラマ「光る君へ」の主人公・紫式部。彼女によって書かれた54帖から成る世界最古の長篇小説『源氏物語』は、光源氏が女たちとさまざまな恋愛を繰り広げる物語であると同時に、生と死、無常観など、人生や社会の深淵を描いている。
この日本文学最大の傑作が、恋愛小説の名手・角田光代氏の完全新訳で蘇った。河出文庫『源氏物語 2 』から第9帖「葵(あおい)」を全10回でお送りする。
22歳になった光源氏。10年連れ添いながらなかなか打ち解けることのなかった正妻・葵の上の懐妊をきっかけに、彼女への愛情を深め始める。一方、源氏と疎遠になりつつある愛人・六条御息所は、自身の尊厳を深く傷つけられ……。
「葵」を最初から読む:光源氏の浮気心に翻弄される女、それぞれの転機
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人の世のはかなさを語り合い
七日ごとの法要は次々と終わるが、光君は四十九日までは引き続き左大臣邸にこもっている。光君のこうした慣れない退屈な暮らしを気の毒に思い、三位中将(さんみのちゅうじょう)(かつての頭中将(とうのちゅうじょう))は始終つきっきりで、世の中のさまざまなことを──真面目な話も、またいつものように色恋の話も、あれこれと話してはなぐさめている。そんな時、二人で大立ちまわりをした典侍(ないしのすけ)のおばば殿のことがきまって笑い話の種になるのだった。
「かわいそうじゃないか、おばば殿のことをそんなふうに軽んじちゃいけないよ」
光君はそう咎(とが)めながらも、いつも笑ってしまう。
あの十六夜(いざよい)の月に、暗い中で中将に見つかった時のことや、ほかのことも、それぞれの色恋について洗いざらい打ち明け合いながら、しまいには、人の世のはかなさを語り合い、つい泣いてしまうのだった。
時雨(しぐれ)が降り、人恋しい思いをそそる日暮れ時、中将は鈍色(にびいろ)の直衣(のうし)と指貫(さしぬき)を一段薄い色のものに衣替えして、ずいぶんと男らしくすっきりした出で立ちであらわれた。光君は西の妻戸前の高欄(こうらん)に寄りかかり、霜枯れの前庭を見ている。強い風が吹き荒れ、時雨がさっと降りそそいだ時、時雨と涙を争っているような気持ちになり、「雨となり雲とやなりにけん、今は知らず」と唐(とう)の劉禹錫(りゅううしゃく)が愛人を失った悲しみをうたった詩の一節を口ずさんで、頰杖をついている。その姿があまりにうつくしいので、中将は、もし自分が女で、この人を後に残して逝かなくてはならないとしたら、きっとたましいはこの世に残ってしまうに違いない、などとついじっと見つめてしまう。中将が近くに座ると、光君はしどけない恰好をしながらも直衣の入れ紐だけを差しなおし、襟元を整える。光君は、中将よりももう少し濃い鈍色の夏の直衣に、紅色の袿(うちき)を着ているが、その地味な姿に、かえって見飽きることない風情がある。
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