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「三公七民に地税なし」羨ましすぎる江戸の税事情 農民は「隠し田」による脱税も黙認されていた

東洋経済オンライン / 2024年8月6日 16時0分

そのため、江戸の町民たちは、江戸幕府が大好きでした。戊辰戦争で官軍が江戸を占領したとき、江戸の町民たちは官軍から求められた御用金の拠出にはなかなか応じませんでした。江戸の町民が、江戸幕府に対して恩義を感じていたからなのです。

このように、かなり恵まれた境遇にあった江戸時代の町人たちでしたが、そうかといって、商人への過度な富の集積も起きませんでした。

当然ながら、長い江戸時代の間には大商人も生まれ、大名の中には商人に頭が上がらない者が出てきていました。しかし、中世や近世のヨーロッパ諸国のように、国王が国土を担保に金を借りたり、商人や銀行家に振り回されたりというような事態は生じなかったのです。これは、あくまで幕府が政治経済を主導し、管理していたからだと考えられます。

江戸時代はかなり自由な商業活動が許されており、富の蓄積も認められていました。ただ、あまりに強欲な商売をしている商人や、贅が過ぎるような商人は財産を没収されたり取り潰しに遭うこともあったのです。

たとえば、大阪で米の先物取引を始めたとされる豪商の淀屋は、5代目のときに「豪奢を極めた」ということで咎を受け、全財産を没収されています。

また、富豪にはそれなりの社会的な責任も求められました。

江戸時代から昭和初期にかけて、日本一の地主と言われていた山形・酒田の本間家なども、防風林の植林や飢饉対策などのために多額の自費を投じ、幕末には藩に巨額の御用金を供出しています。

武士も「祖父の代からの借金」は背負うことがない

江戸時代の中ごろから武家の生活はかなり苦しくなっていましたが、没落してしまう武家はあまりいませんでした。

武家の主な収入源は年貢で徴収した米だったのですが、江戸時代も中ごろになると、様々な商品が市中に出回るようになり、米の価格が相対的に下がりました。そのため、武家の生活は苦しくなったのです。

しかし、没落して武家の身分を放棄してしまうような者は、それほど多くはありませんでした(もちろん一部には存在しましたが)。これは、幕府の巧妙な経済政策によるものと思われます。幕府は定期的に、武士への救済処置を行っていたのです。

江戸時代には、享保、寛政、天保という3回の大きな改革が行われています。この3回の改革にはそれぞれに特徴がありますが、1つだけ共通点があります。それは、「武士の借財を帳消し」にしたことです。そして、武士の借財の帳消しは、享保の改革以来、だいたい50年周期で行われています。

そのため、「父親の代からの借金を背負うことはあっても、祖父の代からの借金は背負うことがない」という状態だったのです。

また、幕府は商人側にも配慮しました。武家の借財帳消しを行うたびに、札差(金貸業者)に対し特別融資を行うなどをして、金融不安が起きないようにしたのです。高圧的に借金を踏み倒すだけじゃなく、それなりの手当も行っていたのです。

だから、札差(金貸業者)も極端な貸しはがしに走ることはなく、江戸期を通じて武家との持ちつ持たれつの関係を保っていたのです。

大村 大次郎:元国税調査官

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