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村上頌樹が振り返る「669球を投げぬいた」甲子園 大阪桐蔭との一戦が「虎のエース」を変えた

東洋経済オンライン / 2024年8月8日 17時0分

── それだけバッティングが評価されていたと。智弁学園で1年夏から出るのはなかなかです。しかし甲子園では、明徳義塾に初戦敗退。この試合の最後、マウンドに上がりました。

あの時も試合中に投球練習をして、監督に「準備できました」と言ったら、キャッチボールしとけと言われたので登板かなと思ったら、たしか6回の守備からレフトに入りました(笑)。

── レフトで途中出場し、4対10とリードを奪われた8回裏に4番手で登板。しかも岡本選手のあとを受けてのリリーフ。なかなかの豪華継投です。

そうですよね。いざ投げるとなると、一気に緊張感が増して、マウンドでのことはほとんど覚えていなくて。覚えているのは、甲子園の熱気と応援がすごかったことくらいです。

── 試合当日は8月15日。お盆期間の第1試合、観衆は4万7000人でした。

ほんとにすごい雰囲気のなか、相手の明徳も岸(潤一郎/現・西武)選手中心に強かった。

── 智弁学園も岡本選手を中心に注目されていました。

自分がいた3年間のなかで、間違いなく1番強いチームだったと思います。

近畿大会での大阪桐蔭戦が、大きく変わる契機に

── ここで1年夏が終わり、秋からはエース。しかしその秋と2年夏は、最大のライバルである天理に連敗し、甲子園出場はなりませんでした。そして2年秋は奈良大会を制し、センバツにつながる近畿大会でも初戦で神港学園に勝利。ただ、つづく大阪桐蔭戦は9失点で完敗でした。

あの大阪桐蔭戦は、自分が大きく変わるきっかけになった試合です。「打たれたらどうしよう」と、弱気な気持ちになって攻め込まれたんです。やる前から気持ちで負けていた。だから、ピッチングでも厳しいところばかり狙いすぎてフォアボールにしたり、カウントを不利にしてストライクを取りにいったところを打たれたり。

技術面も足りなかったと思いますけど、気持ちの部分で負けていたら抑えられるものも抑えられない。

── それからどのように変わっていったのですか。

OBの方にメンタルやピッチングの考え方を教えてもらったことも大きかったのですが、1番は「打たれたらどうしよう」ではなく、「やってやろう」「抑えてやろう」という気持ちで投げられるようになったことだと思います。

── そう思えるだけの練習を積んだことが大きかったと思いますが、気の持ち方によってボールって変わるものですか。

変わりますね。不安のまま投げたボールは、打者の手元で力がなく、怖さもない。でも気持ちがしっかり入って投げたボールというのは、最後までスピンが効いていて、ベース上で勢いがあります。

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