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社会的共通資本としての大学はどうあるべきか 藤井輝夫・総長が描く「未来の東京大学」とは

東洋経済オンライン / 2024年8月9日 13時0分

堀内:そうですね。日本の企業が抱えている問題とほんとにパラレルだなとわかります。エグゼクティブ教育をやっていて、若干内心忸怩たるものがあるのは、結局会社に入って、会社で営業なり技術なりをやって、そこで成果を上げて、段々と係長、課長、部長になって、そして執行役員ぐらいになったときに、急にこれからはマネジメントが仕事だと言われます。

彼らのほとんどが20年以上そんなことを考えたこともないのに、いきなりマネジメントを行うのですから、いきなり教養が大切だと言われて、かなり混乱しているというのが日本の大企業の実情ではないかと思います。

藤井:どこも同じですね。

堀内:ですから本当はアメリカの企業だと、マネジメントに適している人は20代でピックアップされて、マネジメントのコースに乗っていって、それで他の会社に転職して、場合によってはまた戻ってきてと、マネジメントのプロとして育っていくのです。ある一定年齢以上になってから、それまで営業の成績が良かった人だけ集めて、さあ、これからはマネジメントです、教養ですと言われても、とても対応できないわけです。

藤井:最近いろいろな場所で言っているのですが、やはり新卒一括採用で年功序列で、1つの企業にとどまって、それで待遇が良くなっていくという大企業の世界をどのように変えられるかということが、いま非常に大きな課題になっていると考えています。これは学生がキャリアを考えるうえでも非常に大事で、様々な問題がこの構造に関わっている。これをなんとか変えられませんか、といろいろな方によく申し上げています。

「善い人生」「善い社会」のために東大に期待すること

堀内:そうですね。まさにいま日本社会が共通に抱える問題ですね。私も教養についてはいろいろ考えが固まってきていて、先ほど知と教養の関係というお話をうかがいましたが、私はやはり知識というのがある一定程度ないとものをきちんと考えるのが難しいのではないかと思っています。

人類の歴史、人類の蓄えてきた知というものは、どうしても一定程度学ぶ必要がある。学んだうえで考えるということだと思っています。そして考えるだけではなくて、やはりそれを実践に移して行動しないといけない。知識と思考と実践というこの3つが組み合わさって初めて教養になると考えています。

それでは、なぜ教養が必要なのかという、その「なぜなのか」がどうしても問われなければなりません。それはやはり人間の幸福につながっていると思うからです。古代ギリシア哲学的に言えば、善い人生、善く生きること。それから、人間が社会的な生き物だとすれば、善い社会を築くこと。個人と社会と両方の幸せを追求するために知識と思考と実践があるのだろうと思っています。

いま東大が藤井総長のイニシアチブの下で本当に動き出していて、大いに期待しているものですから、可能であるならぜひ藤井総長に長くやっていただけたらと思って申し上げました。時間になりました。本日は貴重なお話をありがとうございました。

藤井 輝夫:東京大学総長

堀内 勉:多摩大学大学院教授 多摩大学サステナビリティ経営研究所所長 

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