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大阪メトロ野江内代、地味な「難読駅」の誕生秘話 谷町線の開通記念碑が物語る地元の"悲願"

東洋経済オンライン / 2024年8月28日 7時30分

大阪メトロ谷町線の野江内代駅は「難読駅名」として知られる(撮影:伊原薫)

地下鉄の路線は、ほとんどが道路の下を通っている。その理由は、一言で言えば「用地確保を容易にするため」だ。

【写真16枚を見る】野江内代駅の構内や周辺の様子。大阪メトロにいくつかある「難読駅」のなかでも屈指の駅名の誕生には地元の悲願が背景にあった

地下鉄ならではの事情がある

地下に鉄道路線を建設する場合、一般的にはその地上にあたる部分の土地を買収するか、使用料を払わなければならない。だが、地下鉄が通るような都市部ではその交渉は容易でなく、また費用もかなりのものとなる。

そこで、国や自治体の所有地である道路の下を通すことで、これらの課題をクリアするという手法が一般的だ。

【写真】駅構内や周辺の様子。大阪メトロにいくつかある「難読駅」のなかでも屈指の駅名の誕生には地元の悲願が背景にあった(16枚)

ちなみに、2001年に大深度地下使用法が施行され、地下40m以深かつ支持地盤の上面から10m以深においては鉄道をはじめ河川や送電線など公共用途のトンネルを、土地所有者への補償を行うことなく設置することができるようになった。

また、鉄道路線とその上の道路を一体的に整備するという例も全国で見られる。大阪市が建設した地下鉄御堂筋線はその代表例で、もともと幅6m程度の道路だった御堂筋を、地下鉄建設に合わせて幅44mにまで拡幅。大阪市のメインストリートとなり、その沿線は大いに発展した。

ところで、道路は町界となっていることも多く、その下に駅を設ける場合には「駅名をどうするか」がしばしば問題となる。この解決方法にはいろいろあるが、もっとも穏便(?)なのは「両方の地名を合体させる」というものだろう。

Osaka Metro(大阪メトロ)の谷町線は、この“合体駅名”が数多くあることで知られている。最も有名なのは、南側エリアにある喜連瓜破(きれうりわり)駅だろうか。

喜連瓜破と野江内代

難読駅名としても知られる同駅は、喜連2丁目と瓜破2丁目の境界に位置する。一部の列車が始発・終着駅としていることから、列車の行先表示にも出現。駅周辺には「喜連瓜破店」という名の店舗が点在するなど、もはや一つの地名として認識されている。

一方、谷町線の北側エリアには合成駅名が4つ続く区間がある。そのうちもっとも都心寄りに位置するのが、今回紹介する野江内代(のえうちんだい)駅だ。

野江内代駅は、1977年に谷町線が都島駅から守口駅まで延伸した際に開業した。この区間には野江内代、関目高殿、千林大宮、太子橋今市と4駅が並ぶが、なかでも野江内代駅は喜連瓜破駅と双璧をなす、大阪メトロ随一の難読駅名と言ってよい。

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