東武の独立路線「カメが走った」熊谷線の軌跡 軍需目的で戦時中に開業、廃線後も残る面影
東洋経済オンライン / 2024年8月31日 7時0分
2024年は東武東上線が開業してから110周年だという。東上線は、東武鉄道とは別会社の東上鉄道として開業したことから、伊勢崎線など東武鉄道の本線系とは路線上の接点をもたず、越生線とともに独立した運転系統となっている。
【写真】東武熊谷線のディーゼルカー「カメ号」キハ2000形の現役当時。1983年廃線直前のヘッドマーク付きの姿、駅の様子、そして保存車両の車内は?
東武鉄道には、かつてこのような他系統と完全に独立した路線がもう1つあった。東武熊谷線(妻沼線)である。熊谷線は、JR高崎線、上越新幹線、秩父鉄道が乗り入れる熊谷駅から北上し、利根川南岸の旧・妻沼町(2005年に熊谷市と合併)までの約10.1kmを結ぶ非電化路線で、「カメ号」の愛称で親しまれたディーゼルカーが活躍していた。
今回は、この熊谷線の歴史を振り返りながら廃線跡を歩くとともに、以前から浮上していた、熊谷線の廃線跡等を活用する「埼群軌道新線」構想のその後についてもお伝えする。
軍の命令で戦時中に建設
熊谷線はもともと、太平洋戦争中、現在の群馬県太田市にあった中島飛行機(現・SUBARU)への工員・資材輸送の必要性から、軍の命令で建設されることになった軍需目的の路線だった。
建設工事は2期に分けて実施する計画が組まれ、熊谷―妻沼間の第1期工事区間は1943年11月までに竣工し、12月5日に開業した。工員たちは列車で熊谷から妻沼まで運ばれた後、妻沼でバスに乗り換え、利根川を渡って工場へ通勤したのである。
【写真】東武熊谷線のディーゼルカー「カメ号」キハ2000形の現役当時や1983年廃線直前のヘッドマーク付きの姿、駅の様子、そして保存車両の車内
第2期工事区間は妻沼から利根川を渡り、貨物専用線の東武仙石河岸線(1976年廃止)を経由して、東武小泉線に接続する計画だったが、工事中に終戦を迎える。終戦により軍需輸送という建設目的を失ったが、治水上の観点から利根川橋梁の橋脚(ピア)が完成するまで工事を続行する方針となり、1947年7月に橋脚が完成した時点で工事は中止された。
戦後の高度経済成長期には、群馬県側への熊谷線貫通の機運が高まり、1961年10月に「東武鉄道妻沼・大泉線貫通促進期成同盟会」が発足。東武鉄道、国鉄および関係市町の間で熊谷線延伸に向けた協議が行われた時期もあった。また、逆に熊谷線を南へ延伸し、東上線の東松山駅につなぐ計画が持ち上がったこともあった。
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