東武の独立路線「カメが走った」熊谷線の軌跡 軍需目的で戦時中に開業、廃線後も残る面影
東洋経済オンライン / 2024年8月31日 7時0分
ディーゼルカーが走った「かめの道」
「かめの道」はとてもきれいに整備されていて歩きやすい。しばらく歩を進めると、熊谷線が高崎線の線路をオーバークロスしていた地点に到着する。当時の写真を見ると、熊谷線はかなりの高さのある築堤上を走り、高崎線の頭上を越えていた。
この築堤は延長1.5km、高さ最高4.2m、幅平均13mにも及んだといい、熊谷市街を文字通り「分断」していたため、熊谷線廃止後に撤去された。その土砂は1988年に開催された「さいたま博覧会」に備えての「熊谷バイパス」拡幅工事に再利用されたという。
高崎線の線路と国道17号線を越えた先も、「かめの道」はおよそ800m続き、終点となる。その先、廃線跡は舗装道路へと変わり、沿道は住宅地になっている。今の時代に熊谷線が残っていたならば、通勤・通学需要がかなりあったのではないかと、少し残念に思われる。
左手に大幡中学校が見える辺りまで来ると周囲に田畑が増え始め、やがて前方に熊谷バイパスの高架が見えてくる。この付近に途中駅の大幡駅があった。昔の大幡駅の写真を見ると、ホームの先に熊谷バイパスの高架が写っている。熊谷バイパスは、1982年に全線が開通していることから、熊谷線廃止直前の1982~1983年頃に撮影されたのだろう。
さて、熊谷バイパスをくぐってさらに歩を進めると、次第に家々の数が少なくなり、田園風景が色濃くなってゆく。道路際の田んぼに埋められた境界杭に「東武」の文字が見られる。この道をたしかに鉄道が走っていたことを示す証しである。
田園風景の中を延々と歩き、単調な景色に少し飽きはじめた頃、福川というやや大きめな川を渡る。ここに架かる「東武橋」は、熊谷線が走っていた当時の鉄橋からコンクリート橋に変わっている。橋桁のプレートを見ると、熊谷線廃止から5年後の1988年に架け替えられたことがわかる。
「カメ号」の生き残り
福川を越えれば、熊谷線廃線跡の旅も、いよいよラストスパートだ。東武橋から2kmほどで、かつての熊谷線の終着駅であった妻沼駅跡にたどり着く。現在の「ニュータウン入口」バス停付近が駅跡である。
そして、いよいよ今回の旅のクライマックスとなる「熊谷市立妻沼展示館」を訪問する。展示館の建物に隣接して、キハ2000形ディーゼルカーが1両保存されている。この車両は、熊谷線で活躍していたディーゼルカー3両のうちの1両、キハ2002号車だ。車両のドアは施錠されているが事務所で職員に声をかければ、車内も見学できる。
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