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東武の独立路線「カメが走った」熊谷線の軌跡 軍需目的で戦時中に開業、廃線後も残る面影

東洋経済オンライン / 2024年8月31日 7時0分

保存車両を見ると、昭和の時代にタイムスリップしたような感覚になる。かつての東武の車両はこのようなセイジクリーム一色の塗装だった。車内の座席カバーは、本来はキツネ色だったはずだが、モスグリーンに近い色になっている。日焼けにより変色したのだろう。ちなみに2001号車、2003号車はすでに解体されており、2002号車は熊谷線の唯一の生き残りだ。

さて、もう少し先まで足を延ばしてみよう。戦時中、利根川を越え、熊谷線を群馬県側へ延伸するため、利根川橋梁の橋脚工事が進められていたのは前述したとおりである。その橋脚は戦後も長い間、残置されていたが、1979年3月までに撤去された。

しかし、利根川北岸の堤外に、現在も1基だけがポツンと残っている。高さ7~8mはあろうかという橋脚は、戦中・戦後の資材不足の時代に造られたからだろうか、なんとなく不格好に見えるが、熊谷線の歴史を物語る貴重な遺構である。

ここからさらに群馬県側の散歩を続けるならば、熊谷線と接続予定だった貨物線・仙石河岸線の廃線跡が「いずみ緑道」として整備されており、東武小泉線の西小泉駅方面へと続いている。西小泉駅からは、太田へも館林へも電車で10数分だ。

熊谷―太田間「新線構想」の現状は

今回は熊谷駅から妻沼を経由し、西小泉駅まで歩いた。同ルートは自動車ならばわずか30~40分ほどの道のりである(熊谷駅―太田駅間はバスで約50分)。しかし、鉄道で熊谷から太田や館林に向かうならば、羽生経由でかなりの時間を要するため、熊谷線の廃線跡等を活用し、太田と熊谷を結ぶ軌道を建設しようという構想が、これまでに何度か浮上した経緯がある。

1991年には、太田市、熊谷市、妻沼町など沿線3市9町(当時)で構成する「埼群軌道新線建設促進期成同盟会」が発足。また、最近では2016年に、太田から熊谷経由で東上線の森林公園駅までを結ぶ「(仮称)森林埼群軌道新線」の建設に向けた基礎調査実施の請願が熊谷市議会で決議された。

だが、現実的には沿線の人口動態などから新線の具体化は難しく、埼群軌道新線建設促進期成同盟会は「20年近く活動を休止していたことから、関係市町と合意の上、2024年6月27日付文書で解散を発表」(太田市企画政策課)した。これにより太田―熊谷間の軌道敷設の可能性は、現時点においてはほぼ消滅したことになる。

また、熊谷―森林公園間に関しても、「コロナ前は沿線市町で構成する新交通システム建設促進研究会で視察等を行っていたが、最近は書面会議のみ」(熊谷市企画課)と活動は停滞している。沿線の人口密度等を考えると、現状、こちらも実現の可能性は低いと言わざるをえない。

森川 天喜:旅行・鉄道ジャーナリスト

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