東武の独立路線「カメが走った」熊谷線の軌跡 軍需目的で戦時中に開業、廃線後も残る面影
東洋経済オンライン / 2024年8月31日 7時0分
しかし、マイカーの普及などで熊谷線の利用者は減少し続け、「昭和50年以降は年間赤字が2億円を超え、(昭和)54年度決算では収入は4100万円、赤字は2億4千万円」(朝日新聞1980年11月21日)と、営業係数が500を超える不採算路線となった。廃止反対の運動もあったものの、1983年5月31日を最後に熊谷線は廃止された。
秩父鉄道の「間借り」だった駅
続いて、熊谷線の廃線跡を熊谷駅から妻沼駅跡まで歩いてみよう。熊谷線には、熊谷、上熊谷、大幡、妻沼という4つの駅が存在したが、熊谷駅、上熊谷駅の両駅は、秩父鉄道のホームを間借りしていた。軍需目的により、急ピッチで建設しなければならず、熊谷―上熊谷間は、「仮線」ということで秩父鉄道の複線化用地を借用して営業開始し、戦後も、独自の線路敷設の投資ができずに、そのままになっていたのだ。
熊谷駅では、秩父鉄道の羽生方面行き列車と同じホームを使って発着。線路をホームの中程で区切り、お互いに顔を合わせるように停車していた。
次の上熊谷駅は、上越新幹線の高架と高崎線の線路に挟まれ、さらにホーム上を国道407号が通過する、なんとも肩身の狭そうな小駅だ。駅舎から構内踏切を渡った先に島式ホームがあり、当時はこのホームを秩父鉄道と熊谷線が共用していた。
現在、ホームの旧・熊谷線側(北側)はフェンスでふさがれて使用されておらず、レールも撤去されている。実は近年まで、上熊谷駅構内を含め、熊谷線のレールは比較的長い距離が残っていたが、2019年に行われた高崎線の架線柱更新工事の際に、わずかな区間を残して撤去されてしまった。
さて、上熊谷駅を出た熊谷線は、秩父鉄道の線路としばらく併走した後、大きく北へカーブして妻沼を目指していた。この辺りから先、廃線跡は「かめの道」という遊歩道になっている。熊谷線廃止後、東武鉄道から熊谷市および妻沼町(当時)に線路敷きの土地が無償貸与され、道路やこうした遊歩道として整備が進められた。ちなみに、「かめの道」という名称は、「カメ号」という熊谷線の車両の愛称に由来する。
熊谷線では、1954年2月にディーゼルカーが導入されるまでの間、東武鉄道が鉄道院から譲り受けたイギリス製の蒸気機関車が客車を牽引していたが、10.1kmの路線を走るのに24分もかかったことから、地元の人たちに「のろま線のカメ号」と呼ばれていた。ところが、「キハ2000形」ディーゼルカーが導入されると一気に17分に短縮され、見た目もカメに似ていたことから、今度は「特急カメ号」と呼ばれるようになったという。
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