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時代劇でお馴染み"お奉行さま"の「破格の年収」 一方では「自炊が基本」で暮らす下級武士たちも

東洋経済オンライン / 2024年9月1日 15時0分

江戸時代の町奉行は行政面だけでなく、金融政策まで担う激務だったという(写真:koro/PIXTA)

昨今、「政治と金」をめぐる話題がメディアにのぼらない日はありませんが、江戸時代の為政者である武士階級の金銭事情がどのようなものだったのかは意外と知られていません。

国政の統治者である江戸幕府の財政事情から、時代劇でお馴染みの町奉行や与力・同心、はては単身で江戸勤番にあたった下層節まで、武士階級のリアルな懐具合を解説します。

※本稿は、磯田氏の監修書『新版 江戸の家計簿』から、一部を抜粋・編集してお届けします。

江戸幕府の財政収入は最大で約1兆3890億円

江戸幕府の誕生以来265年余り続いた江戸時代。人口が100万人を超える大都市へと発展した江戸は、その半数が武士である。支配階級である武士の生活を支えるためにさまざまな商人や職人たちが江戸に集まった結果、同時代のヨーロッパ最大の都市ロンドン(約70万人)やパリ(約50万人)を凌駕する巨大都市へと変貌した。

【イラストで見る】時代劇でお馴染み、町奉行所の面々の懐具合

武家を中心とする統治機構によって日本全国を支配した江戸幕府の財政収入は、金に換算して約401万1766両に及ぶ(天保9〈1838〉年頃)。内訳は主に年貢収入や直轄鉱山からの収益である。徳川将軍家がおよそ800万石を所有していたと一般に知られる。

しかし、これは家臣の旗本の領地を合算した値である。実際には400万石ほどが天領で、江戸幕府中興の祖であり、享保の改革を実施した8代将軍・吉宗の頃に、新田開発と年貢徴収の強化で最大463万石に達したという。

現在の価格に換算すると、1兆3890億円となる。むろん、すべてが将軍個人の収入になったわけではないが、莫大な金額が幕府の財源となっていた。

江戸時代の武家社会は身分や格式が厳格に定められ、それに応じて、収入額も異なった。将軍の直臣のうち、1万石以上の知行を持つ者が、いわゆる「大名」である。

なかでも尾張、紀州、後に水戸の三藩は「御三家」と呼ばれ、最も格式の高い大名だった。将軍家に継嗣がない場合、この三家のうちから将軍が選出された。

江戸幕府に直属した1万石未満の武士を直参と呼ぶ。江戸時代には、将軍に謁見できる御目見得以上を旗本、謁見できない御目見得以下の武士を御家人としていた。

高収入の加賀藩を圧迫した「規格外」の参勤交代

大名の収入は、「加賀百万石」で有名な加賀藩の場合(102万5000石とする)、「現代感覚」で算出すると約3075億円にものぼる。しかし、江戸時代の大名は「参勤交代」の制度によって、江戸と領地を行き来することが義務付けられているなど、出費も多かった。

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