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時代劇でお馴染み"お奉行さま"の「破格の年収」 一方では「自炊が基本」で暮らす下級武士たちも

東洋経済オンライン / 2024年9月1日 15時0分

参勤交代における大名行列は、3万石クラスの大名で、150人から300人規模の供の者を従えた。しかし、加賀藩の場合、5代藩主・前田綱紀は、4000人もの大行列を組んだとも伝わる。

行列の費用や江戸の滞在費など、大人数の移動は大名にとって相当な負担となった。それは、藩財の約6割も占めたという。

将軍直臣のうち、1万石未満の直参は、旗本と御家人に大別される。武士の給与は「家禄」といい、個人にではなく家を基準としたものだった。

禄は米で支払われるのが通例で、「知行取」と「蔵米取」がある。知行取とは領地をもらうこと。たとえば知行500石は、500石の米が収穫できる土地を領地とすることを意味した。

年貢率は4割ほどで残り6割ほどが農民のものとなったから、旗本の実収入は200石となる。また、蔵米取とは、幕府から支給される蔵米によって収入を得ることをいう。

旗本は100石から1万石未満と大小さまざまだったが、200石から600石程度の中堅層が多数を占めた。役職としては主に管理職に就いたが、大別して戦時に備える「番方」と、行政等の組織運営を行う「役方」に分かれる。

書院番から奉行職になり大名にまで上り詰めたのが大岡忠相だが、江戸時代を通じて極めて稀有な例である。

御家人は、将軍直参のなかでも「御目見得」以下である。将軍に謁見する権利はなく、俸禄の多くが蔵米取だった。収入も旗本に比べ少なく、宝永年間(1704-1711年)の蔵米高によれば、50俵未満、10俵以上の御家人が9割を超していたとされる。主に与力や同心など、奉行の下で働く職に就いた。旗本が務めた奉行、御家人が務めた与力、同心は時代劇でもお馴染みの役職である。

高給取りの半面、激務だった町奉行

旗本は役職に応じて、役料を得たが、そのすべてが役職に就けたわけではない。全旗本のうち半数にも及ぶ2300家は無役だった。

こうした無役の旗本であっても、江戸城の石垣や屋根の修復といった普請(工事)には人夫を派遣する役目があった。無役のため役料は入らず、ただ出費だけがかさむ。旗本の半数が経済的に逼迫していたと言える。

そうした旗本の役職のなかでも江戸の町奉行は、南町奉行と北町奉行に1人ずつと、わずか定員2名。実務能力が高い旗本が選ばれた。俸禄も高く、約1050石、現在の価格にすれば、年収3億1500万円にものぼる。

むろん、家来の世話など出費もかさむためすべてが収入となったわけではない。しかも町奉行は激務だったことで知られていた。

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