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時代劇でお馴染み"お奉行さま"の「破格の年収」 一方では「自炊が基本」で暮らす下級武士たちも

東洋経済オンライン / 2024年9月1日 15時0分

江戸の行政・司法・治安維持・防災といった行政面だけでなく、経済・金融政策なども担う。そのため、在職期間は平均5、6年に過ぎなかったという。そのなかでも大岡忠相は20年間も奉行職を務めたというから、その優秀さが推して知れる。

南北町奉行にはそれぞれ、与力25騎、同心120人が勤務していた。奉行を補佐し、財政や人事から市中の治安維持まで、職務は多岐にわたる。

御家人身分で、禄高は150〜200石ほどが平均。現在の価格にすると年収4500万〜6000万円ほど。幕臣内では下級の部類とされるが、このほかに諸大名からの付け届けなど副収入も多く、裕福な暮らしだったという。

与力の下で実務を行った同心は、主に市中見廻りを担う、江戸時代の警察である。私費で岡っ引き(目明かしともいう)を雇い、捜査活動に従事した。市中の風聞を調べる隠密廻り、定期的な巡回を行う定廻り、臨時の巡回にあたった臨時廻りの3つを総称した三廻りが主な任務だ。

同心の家禄は30俵程度の小禄であったが、諸大名からの付け届けもあったという。

付け届けとは、一種の賄賂のようなもの。参勤交代のため、大名は江戸屋敷に多くの家臣を置いた。彼らが江戸市中で騒ぎを起こした際、穏便に済ませるために特定の与力や同心に付け届けをしたのである。

また、御家人は幕府から組単位で屋敷を拝領した。与力、同心の場合、八丁堀に組屋敷があったことで知られる。与力は約250〜350坪、同心は100坪ほどの屋敷が与えられたが、学者や医師、絵師などに貸し付け、地代を取って収入にする者も多かったという。

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武士の給料の実態と、つましい日々の暮らし

米が貨幣の単位となった江戸時代では、武士の給料(禄)もまた、米で支給されるのが通例だった。金銭で支払われるのは稀で、食用にする分以外を換金して用いた。

上級の武士は主に知行地という領地を与えられ、その土地の年貢から支払われる。これを知行取と呼ぶ。下級の場合には、直接、米が支給される蔵米取(切米取ともいう)が一般的だった。

知行取の武士の収入は、親から子へと引き継がれる「家」に対する禄であるため、「家禄」と呼ばれた。この家禄に応じて役職に就くことができ、米で支給される役料や、金銭で支給される手当などをもらうことができた。

一方で武士は戦に備えるため、家禄の石高に対応して家臣を常時、雇わなければならなかった。家禄200石で約5人、1000石で21人ほど、1万石になると200人にまでなる。家禄が多いほどその分出費もかさみ、家計を圧迫した。

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