相川七瀬「私が長いトンネルを抜け出たきっかけ」 「あらゆる面で自分の未来を見失っていた」
東洋経済オンライン / 2024年9月8日 13時20分
ついこの間も2人でご飯を食べました。来年の30周年記念ツアーは織田さんとまた一緒にまわりたいなと思っているんです。私たちは、プロデューサーと歌手というよりは、師匠と弟子という感じで。それは今も変わりません。織田さんには娘さんが2人いらっしゃいますが、私も織田さんの娘の1人という気持ちです(笑)。
20代前半は創作する苦悩が大きくなっていった
――よい関係を築かれてきたんですね。
そういう師匠に出会えてここまで来れたことは、自分でも奇跡だなと思います。でも、師匠は当時、本当に厳しかったです(笑)。20代前半の全盛期、本当に苦しかった。どんどん歌詞を書いて、曲を出さなきゃならないと追われていました。だんだんと、好きなことが仕事になった喜びよりも、創作する苦悩がはるかに大きくなっていって…….。
――90年代の音楽業界は、ミュージシャンも3カ月に1度はシングル、アルバムも1年に何枚も出すというハイペースなリリースが主流でした。
常に締切に追われていました。徹夜で考えても全くいいフレーズが浮かばない。100枚書いても全部ボツなんてこともありました。1998年頃はもう心身の限界でした。あの頃、リリースしたアルバムには、そんな傷んでいた自分が出ていると思います。
今でこそ、時代に求められていた幸せも理解できますし、あの経験も価値のあるものだったと思えますけど、そのアルバムを冷静に聴けるまでは長い時間を要しました。
――1998年は、相川さんがイギリスに短期留学して神道に出会った年でもありますね。(詳細は前編)
苦しかったから、この先どうしていったらよいのかを模索していたんでしょうね。
26歳で出産。「相川七瀬は終わったね」と言われて。
――そんな中、26歳の時にご結婚され、初めての出産を経験されました。私は相川さんと同世代ですが、晩婚化が進んだ世代。20代半ばの結婚と出産はわりと早い決断だなと。迷いはなかったですか?
迷いました。でもあの時、迷いながらも「一生、自分は歌手ではないかもしれない」と思ったんです。歌手じゃなくなっても私は私の人生をこれから生きていく。それならば、人間としての自分を支える選択をしたいと思いました。しかし、キャリアを続けていく上での新たな葛藤が始まりました。
――新たな葛藤とは?
生活環境が変わり、今までの自分ではないのに、それまで通りの相川七瀬として仕事をしようとしていました。まだ20代後半。同期のアーティストたちはまだまだテレビに出て、活躍し活動の場を海外に広げたりしている中焦りました。
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