江戸時代の「人気職業」はいくら稼いでいたのか 「千両役者」は寛政の改革を機に姿を消した
東洋経済オンライン / 2024年9月8日 19時0分
「火事と喧嘩は江戸の華」「一年を二十日で暮らすいい男」など、江戸の風俗の中から生まれた言葉は現代まで数多く残っていますが、江戸の庶民のリアルな暮らしぶりとはいったいどんなものだったのでしょうか。
大工に駕籠かきから髪結い、棒手振りまで、時代劇などでお馴染みの職業がどれだけの収入を得ていたのかを現代の感覚で換算してみると、これまでの印象がガラッと変わるかもしれません。
※本稿は、磯田氏の監修書『新版 江戸の家計簿』から、一部を抜粋・編集してお届けします。
江戸時代の花形職業だった「大工、左官、鳶」
徳川家康が幕府を開いた当時、江戸は寒村だった。町づくりのために三河や駿河などから呼び寄せられたのが、大工をはじめとする職人たちである。また、武士たちの生活必需品を作る職人も、関八州などから集められた。
職人たちは職ごとにまとまって住み、職人町が形成された。古地図などでは、大工町、鍛冶町、木挽町などといった町名が見える。
職人には大きく分けると道具を持ってよそに出かけて仕事をする出職と、家のなかで物を作る居職がある。なかでも出職の大工、左官、鳶は「江戸の三職」と呼ばれる花形職業だった。
火事が多かった江戸では、大工は引っ張りだこだったのである。賃金は現代感覚で換算すると、日給にして2万7000円、年収にして800万円近くにもなった。
職人中、大工は最も高収入で生活レベルも高い。女子には習い事をさせ、歌舞伎見物もしたようだが、家を持つ者は稀で、借家住まいが多かった。
そんな大工をはじめとする建築職人たちは、大火があるごとに賃金が上がり、江戸の60%が焼失した明暦の大火(1657年)後では、さらに暴騰した。そのため幕府は「上職人(腕のいい職人)」の賃金の上限を定めたのだった。この賃金の制限によって職人町は離散してしまう。
大工には及ばないが、畳職人や石材に細工をする「石切」は日給約1万5000円、大鋸で原木を挽き割り、造材にあたる「木挽」は日給約1万円だった。
しかし当然ながら、すぐに高収入を得られるわけではない。親方、職人、弟子という階級があり、親方は職人に仕事を供給する代わりに賃金の一部をピンハネした。弟子は一人前の職人になるまで、長年の奉公と修業が必要だったのである。
日本橋から吉原大門までの駕籠代は約3万7500円
幕府の公文書を運んだ飛脚を「継飛脚」といい、2人1組で、1人は「御用」と書いた高張提灯を掲げ、もう1人が文書を入れた籠を担いだ。
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