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江戸時代の「人気職業」はいくら稼いでいたのか 「千両役者」は寛政の改革を機に姿を消した

東洋経済オンライン / 2024年9月8日 19時0分

庶民の手紙などの書類や金銭、小荷物などの運輸も飛脚が担うようになった。所要時間や荷物の重さにより料金が違った。江戸市中の通信を請け負った町飛脚も登場した。

飛脚とともに江戸の町を走り回ったのは駕籠。当初、庶民が乗ることは禁じられていたが、しばらくして四つ手駕籠という簡素な町駕籠が出現した。現代の価格で日本橋から吉原大門までの約5㎞分が約3万7500円というかなりの高額であったが、駕籠で乗りつけるのが江戸っ子の見栄だったのだ。

現代では医者は高収入の代表で、平均年収は1000万円を超えるが、江戸ではどうだったのだろう。今のような医師資格はなく、法律上は誰でも医者になることができたというから、収入もさまざまだ。

幕府や藩に仕える医者と、町医に大別でき、さらに町医には町奉行から駕籠を使用する許可を得た乗物医者と、お供に薬箱を持たせて歩く徒歩医者がいた。

医者によって薬礼(治療や投薬に対して医者に払う代金)も違った。『江戸真砂六十帖』によると寛延年間には1両で300服相当、天保年間では120服相当だ。

また、髪結いを専門とする床屋は3代将軍・家光の頃に誕生した。多くは湯上がり客を狙って、湯屋の近くに開業したが、開店費用は現代に換算して5000万円近くもした。客の頭(月代)を剃り、髷を結い直し、眉の手入れや耳掃除などをして相場は32文、約2400円。月収約60万円という高額所得者だった。

江戸時代の商人は、特定の店を構えないで商品を売り歩く行商人が多かった。なかでも天秤棒をかついで売り歩く棒手振りは、江戸庶民の生活になくてはならない存在だった。野菜や魚、豆腐、漬物といった食品を毎日売り歩き、人々はその日食べる分だけを購入した。針や糊など日用品の販売や錠前直し、鏡磨きなどのサービス業を行う者もいた。

たとえば、棒手振りの1日は早朝、青物市場に行き商品を仕入れることから始まる。仕入れ用に借りたお金約700文から、大根などの野菜を購入。肩に食い込む天秤棒の重さに耐えながら、声を張り上げ野菜を売り歩く。日が傾くまで働いて稼ぎは500文程度。現代感覚で算出すると、3万7500円ほど。

米や味噌といった食費に家の家賃を差し引き、子どもに菓子でも買えば、手元に残るのは約200文。現在の価格にして1万5000円程度だ。借金の返済に充てたり、酒を飲んでしまったりすればあっという間になくなってしまう。江戸っ子は宵越しの銭は持たないというが、持てないというのが実情だったようだ。

歌舞伎界に「千両役者」は実在していた

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