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「365日全国泊まり歩く」彼が浪人で得た価値観 浪人時代の祖母との生活が受験勉強を支えた

東洋経済オンライン / 2024年9月8日 8時0分

高校に入ってからの石田さんは、友達は少なかったものの、目にみえるいじめはなくなり、性格も次第に外向的になっていったようです。しかし、勉強に関しては、まったく力が入らなくなりました。

「中学生のときまではまだ勉強していたのですが、高校に入ってから、全然しなくなりました。入ったコースが特進科だったので、勉強環境のレベルが上がったことが大きいと思います。入学したころの成績は真ん中くらいだったのですが、ズルズル下がって、1年生の後期くらいには下位3分の1が定位置になってしまいました」

勉強のモチベーションを落としてしまった石田さんですが、進路に関しては、1年生の最初の段階から、千葉大学の理学部生物学科に行きたいとぼんやり考えていたそうです。

「小学生のときに卒業文集に『宇宙飛行士になりたい』と書きました。幼いころから未知のことに興味があったのだと思います。そのため、2年生のときに理系コースを選びました」

しかし、勉強を進めていくにつれて、彼は数学が絶望的に苦手だということに気づいてしまいました。

「数ⅡBを履修するようになった途端に難しすぎて、これを理解するのは無理だと思いました。理系クラスのまま3年生に進むのですが、元々生物を除いた理系の科目は、英語・国語・社会の成績より悪かったこともあり、この年の初めには文系で大学受験をしようと決意しました」

文系に変更する前の模試では、理系の偏差値は生物を除いて40台、文系科目はいずれも50を少し超える程度。千葉大を志望していたものの、E判定しかとったことがありませんでした。

そこで志望校を法政大学に切り替えることに。しかし「理系の夢をあきらめたものの、具体的に文系でこんな仕事に就きたい、といったビジョンはありませんでした」。

予備校には通っていなかったものの、コツコツ受験勉強を続けた石田さんは、最後の模試で初めて法政大学でC判定を取るまで学力を向上させました。

この結果を受けて、MARCH(明治大、青山学院大、立教大、中央大、法政大)の4学部に出願。しかし、結果は振るわず全落ちに終わりました。

「行くならMARCH以上じゃないといけないという変なプライドがあったのです。思えば、高校が推薦での入学だったので、人生初めての筆記試験で油断がありました。どうせどこかは受かるだろうと思っていたんです。楽観的な性格が招いた事態でした」

祖母の家で浪人を開始

こうして石田さんは浪人を決断します。浪人を決断した理由を聞くと、「さすがに大学は出ておきたかった」との答えが返ってきました。

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