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早慶で「サークルに青春を捧げた男」驚きの20年後 早稲田実業中退→大検→経産省の官僚、そして・・・

東洋経済オンライン / 2024年9月11日 13時0分

無気力気味だった依田さんだが、高校に入ると、彼の人生に大きな影響を与える活動に出会う。当時、全盛期だったイベントサークル、通称イベサーだ。

イベサーとは1990年末期から2000年代初頭にかけてクラブイベントなどを主催していたサークルで、渋谷を中心に何十~何百と活動するサークルが存在した。複数の学校で構成されるグループや、地元のメンバーで結成されるもの、サークルによって属性も特徴もマチマチだったが、参加者には進学校やエスカレーター式の付属校に通っている学生も多かった。

依田さんが先輩に誘われてイベサーに入ったのは高校1年生の7月頃。当初5人だったイベサーに依田さんが加入すると徐々に人数が増えはじめ、気づけば50人規模のイベサーに拡大。10人程度のイベサーもある中で、50人規模の人数が集まる団体は、高校生のイベサーとしてはかなりの大所帯で、巷では有名な団体の一つだったと語る。

イベントの頻度は約3カ月に1回程度。週2回はみんなで集まってミーティングしたりイベントの準備をしていたという。1回イベントを主催すると場所代やその他経費で100万、多いときは200万ほどかかることもあり、自分たちのイベサーだけでイベントを開くこともあれば、他のイベサーと合同でイベントを開くこともあった。大規模なイベントになると参加者が1000人、2000人となることもあったという。

「学校とは違う世界が広がっていました。渋谷センター街に行けば約束をしなくても友達がたくさんいるし、センター街のマクドナルドや当時はロッテリア、今はバーガーキングになっている店とか、ファーストフード店は高校生の溜まり場でしたね。

また、イベサーではパンフレットも作って自分たちの顔も載せていたので、まわりにもどんどん知られていくんですよ。渋谷にいるだけで知らない人から声を掛けられることもよくあって、そういうのって高校生の頃はちょっと嬉しいじゃないですか。ストリートでの立ち位置が上がっていく感じもして楽しかったです」

イベサーの活動が活発になるにつれて自己肯定感もどんどん上がっていった。自分が有名になっていろいろなところで顔が利くようなる喜びや影響力、権力欲もあったかもしれない。

また、学校では劣等感を抱いていたぶん、イベサーをやることで承認欲求が満たされるような感覚もあった。

無期停学から退学、そして・・・

しかし、イベサーの活動に精力を注ぐ一方で、高校生活には精力を注げなかった。

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