一条天皇の最期「定子と彰子」誰に想いを残したか 死ぬ間際に読んだ和歌にある「君」は誰なのか
東洋経済オンライン / 2024年9月15日 7時0分
そんな声を物ともせず、一条天皇は定子との間に、1男2女をもうけることになる。だが、第3子となる次女を出産したのち、定子は体調を崩して病死してしまう。
道長からすれば、娘の彰子が一条天皇との間に子を成してくれるのがいちばんだが、現時点では第1皇子・敦康親王をバックアップするほかない。自身は後見役を担いながら、彰子を敦康親王の養母とすることで、娘に朝廷での影響力を持たせようとした。
一方の彰子からすれば、14歳にして養母として定子の忘れ形見を支えながら、定子を忘れられない一条天皇の気を引いて、世継ぎを生む……という、なんとも複雑な役割を担うことになった。
父から背負わされた運命に、何もかも嫌になる夜もあったのではないだろうか。紫式部がいうところの「あまりものづつみせさせ給へる御心」(あまりにも控えめな性格)である彰子は、己の感情を露わにするタイプではないため、その胸中はわからない。
ただ一ついえることは、彰子にとって幼き敦康親王は、かけがえのない存在になったということだ。自身に子どもが生まれてからの彰子の態度に、そのことがよく表れている。
寛弘5(1008)年9月11日、21歳の彰子は一条天皇との間に第2皇子として、敦成親王をもうける。彰子が入内してから、約9年の月日が経っていた。父の道長と母の倫子が、歓喜したことは言うまでもない。
やがて一条天皇が重い病に伏せると、皇太子の居貞親王への譲位が行われるなかで、おのずと「誰が次の皇太子になるか」に注目が集まった。
道長は敦成親王を皇位継承者にするべく、行成を通じて一条天皇を説得。一条天皇としては、亡き定子が生んだ第1皇子の敦康親王を後継者にしたかったが、押し切られるかたちとなった。
これに怒ったのが、意外にも彰子だった。一条天皇の意向に従って、敦康親王こそ次の皇太子にすべきだと、彰子は考えていたようだ。養母としてともに月日を過ごした彰子からしてみれば、我が子が生まれたことで、敦康親王が追いやられるような事態は耐えがたかったのだろう。
道長にはとてもではないが、受け入れがたく、かつ、理解できない娘の要望だったに違いない。従来の方針通り、彰子の子であり、自分の孫である敦成親王を皇太子に据えさせた。彰子はそんな父・道長のことを「怨み奉られた」(『権記』)という。
随所に見られた彰子の細やかな心遣い
自分の子が厚遇されることを誰もが願ったこの時代に、彰子の思いやり深さは、特筆すべきことだろう。
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