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実は不登校の子どもにも親にも問題はありません 多様な学びを提供できない行政と大人の責任

東洋経済オンライン / 2024年9月27日 12時0分

不登校にまつわるフェイクについて考えてみます(写真:beauty-box/PIXTA)

「青少年の刑法犯罪は増加の一途」

「生活保護費の不正受給が蔓延し財政が逼迫」

もっともらしく聞こえますが、これらはフェイクです。気がつけば、日本の政治や社会を考えるための基本認識に、大中小のフェイクとデマがあふれかえっています。

「『世界は狂っている』という大雑把で切り分けの足りないペシミズムに陥らないことが大切」と述べるのは、政治学者の岡田憲治氏。大中小のフェイクについて考えることをスイッチにして、この世界を1ミリでも改善するための言葉を共有する道を探そうと企んで執筆したのが『半径5メートルのフェイク論「これ、全部フェイクです」』。今回は、不登校にまつわるフェイクについて考えてみます。

少なくない親御さんたちが悩んでいる

不登校の子どもの数が大変なスピードで増えています。

文科省の発表によれば、全国の小中学生の不登校の子どもは約30万人(2023年)だそうです(高校生も含めると約36万人)。

言い換えれば、「学校に行かない」と意思表明し、それを貫いた子どもが30万人いて、なおも「言えてない」から「無理して行っている子ども」が推定でその何倍もいるだろうということです。

子どもの不登校の現場は、なかなか切ないものです。私の家は、窓から小学校がすぐ近くに見えるところにあるのですが、小学校の敷地の角では、鬼の形相で子どもの腕を引っ張るママと、全身でそれに抵抗する子どもの「人間綱引き」のようなものが散見されます。胸が苦しくなる風景です。少なくない親御さんが我が子の不登校に悩んでいると言います。

昔は話が簡単でした。今とはまた次元の違う格差社会だったため、学校に「行きたくても行けない」子どもたちも大量にいました。「勉強なんてしたって家計の足しになりゃしねぇ。家の手伝いをしろ」と言われた子どもの悲しみは、時代を経て「学校に行ける幸せ噛み締めて、行けるんだから行け」となって回収され、その後は「どんなに勉強できなくてもいいから、学校に行くだけは行け」となりました。

「学び」の場ではなく無理ゲーの訓練場

それでも学校に行くのが嫌な子どもは「登校拒否児童」とされ、その原因は「親のしつけ」と「子どものワガママ」だと教員や親に断定され、文部省の調査も「先生になされるアンケート」によるもので、子どもの声の聞き取りなど、この調査には含まれていませんでした。子どもは「教育(成形)の対象」であり、「行くのが前提」の時代です。

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