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「驚く肉体の91歳」一人きりで生きる"老後の戦略" 最愛の妻を看取って22年、人生後半戦をどう過ごすか

東洋経済オンライン / 2024年9月28日 10時0分

「トライアスロンへの挑戦を伝えたとき、妻は寝たきりのベッドで『パパが一生懸命になれることを見つけて、私はうれしい。私ができないぶんもがんばって』と言ってくれたんです。僕は妻の言葉がうれしくて泣きました。だから、やっぱりトライアスロンをがんばらなきゃいけないなと思ったんです」

偶然が重なった妻との出会い

新卒でNHKに入局し、記者として飛び回っていた稲田さんが妻と結婚したのは27歳のとき。彼女とは取材先の和歌山県白浜海岸で出会った。観光バスのバスガイドをしていて、稲田さんが取材した民謡コンクールに出場していたのだった。

「ものすごく声がよかったけれど、歌がまったくだめ(笑)。アンバランスなところが印象に残りました」

その数カ月後、再び和歌山県に新しくできた温泉施設を取材することになり、観光バスに乗ったら、偶然、バスガイドが妻だった。

「この前、お会いしましたね」と話しかけると、「私も稲田さんを覚えています」とはにかむ。やっぱりいい声だった。

数カ月後に初めてデートらしいことをして付き合いが始まり、2年後に「結婚してくれないか?」とプロポーズした。

「妻は本当にやさしくて人を思いやる気持ちを持っている女性。結果的に僕が惚れちゃったんですね」

結婚後の新居は、現在も暮らす千葉県八千代市にかまえたが、稲田さんは転勤が多く、トータルで8年間の単身赴任をくり返した。正直、家庭のことは妻に任せっぱなしだったかもしれない。

妻は単身赴任先にもよく会いに来てくれて、一緒にテニスを楽しんだり、大学時代に山岳部だった稲田さんの手ほどきを受けて、山に登ったりした。

「ハイキング程度の山登りでしたが、初心者の妻のほうが岩場なんかもパパパッと登っていくんです。僕は仕事が忙しくて万年運動不足だったから、『おーい、ちょっと待ってくれや』なんて叫んだりしてね」

妻の病気が見つかったきっかけは、自転車で転倒したことだった。

「転倒してできた傷口の出血が止まらないため血液検査をしたところ、血小板減少性紫斑病という難病を発症していることがわかりました。血小板が減少し、出血しやすくなる病気です。すぐに大きな病院に変えて、しばらくは通院治療をしていましたが、だんだん病状が重くなり入退院をくり返すようになりました」

定年退職後の人生は介護を選択

発症当時も稲田さんは単身赴任中だった。介護保険制度もなかった昭和の時代。稲田さんは少しでも妻のそばにいられるように、自宅に近い千葉の支局に異動させてもらって妻の闘病を支え続け、定年を迎えた。

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