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「驚く肉体の91歳」一人きりで生きる"老後の戦略" 最愛の妻を看取って22年、人生後半戦をどう過ごすか

東洋経済オンライン / 2024年9月28日 10時0分

65歳まで定年を延長する選択もあったが、稲田さんは自宅で療養する妻の介護に専念するため、迷うことなく60歳で退職する。

こうして60歳から妻の在宅介護の日々が始まった。

単身赴任の8年間は自炊していたので、食事作りはもちろん、掃除、洗濯、ごみ出しといった家事全般は苦痛ではなかった。料理教室に通って病人食の作り方を覚えて、妻のために料理をした。自分の身のまわりのことも自分でできる。

その一方で、「自分の給料がいくらなのかも知らなかった」という稲田さんは、退職後、妻がコツコツと貯めた預金や老後に備えた各種の保険などがあることを初めて知る。

「妻も仕事をしていたのに、僕は家のことは全部妻に丸投げしていたんです。40年のサラリーマン生活を全うできたのは、妻が僕に仕事だけをさせてくれたから。感謝しかありませんでした」

自宅介護が始まった頃は比較的病状が安定していて、稲田さんは運動不足を解消するため、近所のスポーツジムに泳ぎにいく余裕もあったし、妻が寝ているときは自室で趣味のギターの弾き語りをするひとときもあった。

「あるとき、妻に『パパ、あの歌はうまいわね』とほめられたこともありました。寝ていると思っていたら、聞こえていたんですね。妻の前では歌ったことは一度もありませんよ。だって、恥ずかしいじゃない(笑)」

しかし、徐々に妻の血小板の数値が下がり続け、帯状疱疹を発症する。

自宅のベッドで皮膚が焼けるような痛みに苦しむ妻を見ながら、稲田さんは無力感に苛まれるようになっていく。痛みを代わってあげられない。どのくらいの痛みなのか、感じることもできない。「痛がっていてかわいそうだ」と思うことしかできない……。

やがて、病状が悪化して自宅療養から入院になると、稲田さんは持て余すほどの時間ができた。一人でいると、どんどん気持ちがつらくなっていく。

「結婚生活を振り返って、毎晩帰りが遅かったり、単身赴任で8年間も放っておいたりして、あんまり一緒にいてあげられなかったことをものすごく後悔しているんです。結婚するとき、妻と妻の両親に『絶対に幸せにします』と約束したのに、はたしてそれを守れただろうかって……」

遠い日の誓いが胸に突き刺さった。

「ひとりの老後」を支えるもの

このつらい時間を埋めてくれたのが、やがてトライアスロンデビューにつながるアクアスロン(※スイムとランだけ)レースと、大学時代から続けている登山だった。

「山に助けられました。僕は自然の中にいるのが好きで、山道を無心で登っていくうちに悩みや不安から解放されて、気持ちが癒やされていくんです。なるようにしかならない。できることをがんばろうと前向きになれました」

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