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「驚く肉体の91歳」一人きりで生きる"老後の戦略" 最愛の妻を看取って22年、人生後半戦をどう過ごすか

東洋経済オンライン / 2024年9月28日 10時0分

人生のセカンドステージは既婚・独身に関係なく、「ひとりの老後」に向かっていく日々である。そこにはやはり、夢中になれる何か、趣味があるほうがいいと稲田さんは言う。

現役時代は「仕事一筋」「仕事が趣味」という選択でも構わない。稲田さん自身も仕事人間だった。だが妻の発症、介護、看取りという苦行の年月を自分らしく切り抜けてこられたのは、趣味の登山やトライアスロンのおかげだった。

稲田さんの“人生後半戦”は70歳から、トライアスロンとともに始まった。「パパ、がんばって」と背中を押してくれた妻のお骨は、一緒にいる時間を取り返すように8年間、自宅で保管した後、納骨した。

バイクの練習がてら、毎週、妻のお墓に立ち寄って話しかける。トレーニング日誌の練習ルートには、「ママの墓」と記録する。

“人生後半戦”を生き抜く戦略

世界最高齢のアイアンマンとして、世界中に名を轟かせる稲田さんだが、実は「運動の才能にはあまり恵まれていなかった」と苦笑いする。

戦時下だった小学校時代から運動は得意なほうではなかった。

「体操の時間は運動競技というものはなく、すべて軍事訓練。荷物を背中に背負って延々と歩き続ける行軍や、手榴弾のような形をした鉄の塊を投げる投てきの練習ばっかり」

戦時中の反動か、中学校以降はさまざまなスポーツに手を出す。キャプテンに憧れて体操部に入部。鉄棒の大車輪に失敗して砂場に落下後、即退部して陸上部へ。

100m走の補欠が続き、野球部にも所属。投てきでならした肩が活きて、たった一人のピッチャーに抜擢されるも、とある対抗試合で打たれに打たれて、記録的惨敗を喫する。

「あまりにみっともなくて」と大会後に退部。高校では卓球、サッカー、テニスに飛びつくが、長続きしない。

そんな稲田さんは大学時代に登山に出会う。重い荷物を背負って、山道を長い時間、黙々と歩き続ける。これがはまった。

「これまでの運動の歴史を振り返ると、僕は瞬発力や敏捷性が必要なものはどうもダメ。でも登山は長くしぶとくゆっくりと動き続けることが肝要で、せっかちな僕なのにこれがストンと腑に落ちたんです」

長くしぶとくゆっくりと動き続けるーー。老化が進み、気力も体力も衰えていく人生の後半戦をどう生きるか。稲田さんの戦略はこれである。

「夢中になれるものを見つけたら、自分のペースでやってみる。継続できたら、それが進化なんです。僕は老化の先に自分の進化を見つけると、すごくうれしくて、『俺は生きているぞ〜!』と叫んじゃう。誰もいないところでですよ、もちろん(笑)」

【写真】驚異の肉体を持つ91歳! 77歳の時と肉体のピークだったという85歳の時の身体を見比べる(7枚)

桜井 美貴子:ライター・編集者

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