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第1志望「神戸大」に"2度不合格"彼の驚くその後 SNSから消えて、成人式も出ることができず

東洋経済オンライン / 2024年9月29日 8時0分

久保さんは、中学校に上がってからも、小学校から通っていた塾に通い続けた結果、「中学校からは成績が出るようになったのですが、学年で10番以内には入っていました」。

その一方で生徒会に所属し、やんちゃな同級生たちとも仲良くして、コミュニケーションを取っていたために、先生からも「あそこの子、なんとかならん?」といった相談をよく受けて対応していたそうです。

優等生だった久保さんの成績は、たまに4だった美術を除くとオール5。それでも、自分よりもできる人はまだまだいると、謙虚に過ごしていたそうです。

難関校に合格し、厳しい競争の中に…

高い内申点を維持し続けた彼は、市内でいちばんの兵庫県立明石北高等学校の自然科学科を受験して、合格しました。

「明石北高校はスーパーサイエンスハイスクールに指定されていて、NASAやハーバード大学、マサチューセッツ工科大学、MIH(アメリカ国立衛生研究所)などに訪問できるアメリカ研修があったり、日本の研究施設や大学の先生を招いて講義が受けられる環境でした。当時の私は気象・宇宙が好きで、大学でもそういう分野の勉強をしたいと思っていたため、いい学校だなと思っていました」

しかし、高校に入学してからは、中学よりもさらに勉強ができる人たちの中に身を置いて、厳しい競争を経験することになります。

高校に入ってからも野球部に入った久保さんは、最初のほうこそ、そこそこの成績を維持できていましたが、厳しい練習のため次第に勉強時間が確保できなくなり、成績が下降し始めました。

「最初の成績はクラスで7/40番だったと思います。でも、野球部の練習がとても厳しくて、疲れて勉強に集中できない日々が続きました。明石北高校自然科学科は、クラスの半分くらいが神戸大以上か、医学部に行くため、みんな頭がよすぎて、(このままでは自分は)やばいと感じましたね。勉強に全振りしていたら、みんなにもついていけたと思いますが、部活も真剣にやっていたので、両立が難しく、いちばん悪いときには38/40位まで成績が落ちました」

1年生のときにはもう肌感覚で「東大や京大に行くのは不可能だ」と感じた久保さんは、神戸大学の理学部を第1志望にして、理系の問題を中心に勉強を続けました。

その当時は、19時に部活が終わって20時くらいから2〜3時間ほど代ゼミサテライン予備校で授業を受けたり、自主的に勉強をしていました。

しかし、神戸大学の判定は進研模試で一度B判定が出たのみで、あとはE判定が続く状況でした。

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