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娘の死から最期まで22年の日記に吐露された心情 「只生きている。死ねば完了」の境地に至るまで

東洋経済オンライン / 2024年10月14日 10時20分

手帳類収集家に寄贈された28冊の日記(筆者撮影)

他人の日記やスケジュール帳などの「手帳類」を収集する志良堂正史(しらどう・まさふみ)さんの元には、全国の多くの人たちから1700冊を超える日記帳やノートなどが寄せられている。その中から遺品整理の過程で発見された、ある故人の日記を拾い上げて読み込んでいきたい。

【写真を見る】22年かけてつづられたT医師の日記を見る

遺品として寄せられた難読ノート

志良堂さんに寄せられた日記の中で、とりわけボリュームが目立つのはT医師の日記群だ。主にA4サイズの大学ノートに書かれた日記帳は全部で28冊あり、期間は1999年8月から2021年9月まで、実に22年に及ぶ。2022年の秋に遺族から寄贈されたものだ。

志良堂さんもまだ全容がつかめていないという。ボリュームだけが理由でないことは、一冊開けばすぐにわかる。1時間かけても1ページ分の内容が解読しきれないことがあるほど、字のくせが強い。

そんなT医師の日記群を特別に預からせてもらった。とある機会に一部を読ませてもらったとき、そこに刻まれた強い情動に強く惹きつけられたためだ。

唐突に差し込まれる「ムッチャン!」という慟哭と、水彩絵の具まで使って繰り返し描かれる自室の景色や麦わら帽子のスケッチ、罫線を無視して縦横に書き殴る乱れた字。それが何度も繰り返されており、普通ではない何かを感じた。

その真相を解き明かすために時間をかけて最初の2冊を読み込んだところ、ムッチャンは亡くなった娘であること、たびたびスケッチされる品々はムッチャンの形見であること、そして、ムッチャンの死が日記を始めるきっかけだったことがわかった。

そのうえで全編を読み込んだところ、T医師の内面から湧き上がる死別の悲しみが、膨大な時間をかけてゆっくりと変化していくプロセスが浮かび上がってきた。22年間に及ぶ一人の内面が追える機会は滅多にない。故人の内面のすべてを知れるわけではないが、可能な限りこの記事で共有したい。

(※日記の引用において、解読できなかった箇所は「××」とし、プライバシー保護の観点から、「ムッチャン」の本名は「M」、それ以外の人物名や住所などは「○○」と伏せています)

健康で充実した暮らし、埋められない穴

T医師の日記は、表紙に「99.8~」と書かれたA4の赤いキャンパスレポートから始まる。1999年8月20日の朝につづった夢日記が最初だ。

<99.8.20 アケ方
 お祭りだった×宿の中を歩いていた。何人か知っている人に会った
 夜になって通りは人っ子一人居なくなってしまった
 家に帰った。家は××のバラックの家だった 玄関に近づくと、
 "洗手が帰って来た来た"という子供の声がした。玄関をあけると
 そこにM(お母さんを××)が待っていた。"洗手"とは私が
 押していた荷物車のことだった。そのかごは日用品やおみやげをつんであった
 Mのほっぺたは真っ赤だった。私は"こういう時もあったな"と
 ×にうたれていた>

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