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国の経済発展をもたらすのは「政治制度」ではない 「ノーベル経済学賞」のアセモグル教授らに反論

東洋経済オンライン / 2024年10月19日 8時30分

社会資本がきちんと存在している社会であれば、まず、①車いすが入手可能である。②介助する人がいる。次に、③車いすの人を見かけたら、知り合いでなくとも、その場にいる周りの人々が助けてくれる。

そして、④そのニーズに気づいて、これをシステマチックに解決しようとする。⑤地下鉄の運営組織がこれに対応して、あらかじめ板などを用意する。⑥どこの車両に助けを必要とする人がいるか、その人がどこで乗降車するか、これらを認知する仕組みを作る。

⑦これを実施する担当者(ここでは地下鉄駅員)が、自分の活動をいったん脇に置いて、これを実施する。⑧この補助が、全体の地下鉄運営に悪影響を与えないようにする。あるいはある程度のロスがあっても、カバーして、持続可能なものとする。

①から⑧までを1つひとつみていこう。まず、①が成り立たなければ、大きな困難に直面する。車いすという発明が必要だし、これを生産する技術が必要で、それを購入できる経済力も必要だ。これは、社会資本の成立には、一定水準の経済発展が必要ということだ。

衣食足りて礼節を知るという言葉どおりで、学問的な実証研究でも社会資本と、1人当たり国民所得の相関は示されている。②は、雇える経済力でもいいし、家族というものでもいいし、ボランティアというものもある。徴兵制のように、ボランティアの強制もありうるが、それは社会主義的だ。共産主義なら担当の公務員を作る。これは社会のスタイルにより、さまざまだ。

③は、その社会の優しさであり、同時に平和で、他人を不必要に警戒しなくて済む社会である。いつひったくりや暴行にあうかわからないような社会では、周りを見渡す余裕はないし、隙を見せたら、別の人にやられてしまうかもしれない。

そもそも車いすで外出しようとすること自体が本人にとって危険かもしれない。一方、乗客全員がスマホだけを見ていれば、車いすの人が降りようとしていることに気づかない、いや乗っていたことすら認識していないだろう。これは別の意味で、社会資本が失われている社会だ。他人に対する完全な無関心である。

重要なのは④の「ニーズに気づいて、これをシステマチックに解決しようとする」だ。これを実現できる社会はそんなにない。日本の場合は、欧州ではこういうのがある、と誰かがプレッシャーをかけたか、駅員がそう思って、社内で上に提案したか、どういうきっかけかわからないが、いずれにせよ、そういう発議が起こる社会はよい社会だ。

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