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脱亜入欧に没頭し西欧を超えられなくなった日本 世界各国の歴史を無視し憎悪を向ける日本人の悪弊

東洋経済オンライン / 2024年10月27日 8時0分

イギリス人のアジア人に対する態度のひどさに驚いて、義憤を抱いているのだ。しかし、福澤はできたらイギリス人のようになりたいものだと思う点で、イギリス人と、同様アジア人を差別しているのである。

その意味で、福澤は現在まで続く日本人のアジア蔑視論の淵源に属するといってよい。しかしながら、福澤が、アジア人に文明を学び西欧人に抗する気概を持ってほしいと願う点で、たんなるアジア蔑視論者ではない。

西欧人への怒りが、アジア人への共感ではなく、アジア人蔑視として昇華していく過程は、日本人独特のものかもしれない。アジア人の多くは、安易に西欧化せず、抵抗して西欧化を自分のものにしたともいえるからだ。

だから近代化が遅れたのである。それは、中国崇拝から西欧崇拝へと気軽に変貌するような気軽な精神とは違う、息の長い文明精神というものを感じさせる。こうした自らの過去の伝統の上で、西欧化した国は、たんに西欧を模写したのではなく、乗り越えているところがあるからだ。

昨今のアジアの隆盛は、けっして日本に遅れて西欧化が今やっと成功したからではない。自分のものとしてそれを理解するのに時間がかかったからだと、私は理解している。

西欧化で西欧を乗り越えられなくなった

だからアジア蔑視と西欧への追従というものがそこには存在せず、自らに自信を持っているように見える。日本はそのなかで孤立しているが、一方で西欧に対しても孤立しているのである。要領のいい西欧化は、西欧を乗り越えることを不可能にしたように思える。

世界史は、西欧史ではなく、もちろんアジア史でもなく、世界史にはさまざまな歴史があるということかもしれない。それにしても、韓国や中国を批判することに奔走し、彼らが何を新しく成し遂げたかについてまったく関心を抱かなくなっている日本人は、悲しいかな時代の変化に鈍感となっているといえる。

歴史がアジアに戻ってくるなら、もともとアジアに位置していた日本にとって、それは好都合なはずである。アメリカのお先棒を担ぐことに終始せず、もっと新しい発想で近隣アジアと付き合い、彼らから学ぶべきである。

今は、まるで幕末期に起こったこととちょうど逆転した現象が起きているのかもしれない。脱亜入欧、近代化に当時の多くが憤怒の念を持ったように、今脱欧入亜に対して憤怒の念を持っているように見える。日本にも1980年代から1990年代にアジアへ接近しようとした時代があったのだ。

しかしいつのまにか、不幸なことに日本は、それをアジア憎悪に変えてしまったといえる。

的場 昭弘:神奈川大学 名誉教授

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