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江戸時代の武士が利用した「介護休暇」の驚く中身 老親介護をバックアップした江戸時代の「休暇制度」

東洋経済オンライン / 2024年10月29日 17時0分

「看病御暇」の申請が受理された和光は、この日以降、連日実家通いをして父の看病を続けていきます。和光の介護形態は、現代でいう別居介護に該当し、さらにいえば、自宅から「スープの冷めない距離」に住んでいる親の介護をする、「近距離介護」に当てはまります。

遠く離れた実家に住む親を、航空機や新幹線で定期的に通って介護することは「遠距離介護」と呼ばれ、大学や就職を機に地方から大都市圏に出てきた人が直面しやすいケア形態です。一方で「近距離介護」は、親とは別居しているものの、お互いが近くに住んでいる場合の老親介護です。「実家がマンション・狭小住宅で同居するには手狭なので、子供は実家を出て近場に居を構える」などの状況が起こりやすい都市部で良く見られます。

渋江和光の場合は婿養子に入ったことで実父と別居しているわけですが、親が住む実家と自宅との距離が近いため、毎日行ったり来たりしてケアを続けたわけです。

毎日記録した介護の内容

ただ和光は父の介護のため、具体的に何をどうしたかまでは日記に残していません。『水野伊織日記』に見られた「暁九時両便御快通」のような内容は見られないのです。しかし看病のために何時に実家に行き、何時に自宅に戻ったのかを毎日記録し続けています。何日かピックアップしてご紹介しましょう。

 十月九日 「四ツ半時帰宅申候」「日暮より又々根小屋へ参申候て、夜四ツ半時頃帰宅申候」
 十月十四日 「九ツ時帰宅申候而、七ツ半時頃より又々罷越申候」
 十月二十日 「九ツ時帰宅申候」「七ツ半時過より又々根小屋へ罷越申候」
 十一月六日 「九ツ時帰宅申候」「日暮より又々根小屋へ罷越申候」

シンプルな文面なので訳は省略しましたが、おおむねの傾向として、夜中ずっと実父の傍にいて、翌日の「昼九ツ(正午頃)」前後に宗家の自宅に戻っています。そして自宅で一休みした後、「昼七ツ半(午後五時頃)」前後にまた実家に出向く生活を繰り返しています。やや早めに自宅に戻る日もありますが、基本的にこのパターンを厳格なまでに維持し続けました。例えば11月3日には次のような記述があります。

「七ツ時より小場小伝治殿被参候、我等ハ小伝治殿被居候内申断、七ツ半時過根小屋へ罷越申候」
(午後4時に小場小伝治〔おば・こてんじ〕殿がいらっしゃった。私たちは小伝治殿がいらっしゃるうちに断りを申し上げて、午後5時過ぎに根小屋に行きました)

来客中であってもいつもの「ケアに行く時間」が来ると、退出して実家に向かっているのです。ここからは毎日どのようにケア・見守りを行うかのスケジュールを事前に取り決めていて、それを守ろうとしていたのでは、といった想像もできます。もしそうなら、実家の「左膳」ともケア方針について相談・取り決めをしていたのかもしれません。

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